【ジャパンウィンターリーグの挑戦(前編)】 「アピールの場や野球を”やりきった”と思える環境に」 日本初のトライアウトリーグの設立から実現まで


毎年シーズンオフに行われているウィンターリーグ。よく聞かれるのがプエルトリコやドミニカ共和国などで、ラテンアメリカで行われている印象が強いかもしれない。


それが現在、日本でも継続的に行われている。その名は「ジャパンウィンターリーグ」。2022年から開始した同リーグは、初年度からNPB・MLBなど30チーム以上が視察へ来る場となっている。


日本初のウィンターリーグではどのような取り組みや成果が生まれたのか。創設者である鷲崎一誠さんにリーグ創設の歩みとともに伺った。


前後編の前編。後編はこちら

(取材 / 文:白石怜平)


アメリカでの経験がルーツに


ジャパンウィンターリーグ(以下、JWL)は日本で初となるトライアウトリーグで、11月下旬から1ヶ月間、沖縄県で行われている。


アマチュア選手や独立リーガー、さらには海外の選手100名以上が一堂に会する。集まったメンバーでチームを結成し、20試合以上にわたるリーグ戦を開催する。


ここでの活動を通じて次の所属先へ進む選手や、所属チームでの飛躍のきっかけにする、そして次のキャリアのスタートの場となるなど、それぞれの道が広がる場となっている。


日本初のトライアウトリーグが沖縄県で開催されている(提供:ジャパンウィンターリーグ)



同リーグは鷲崎さんの経験の過程で生まれた。かつて慶応義塾大学野球部の内野手だった鷲崎さんは、大学では公式戦に1試合も出場することができなかった。


野球部を引退し就職浪人時に自らの人生を考え直した際、そこで湧いたのが「野球をもう一度やりたい」という想いだった。そのタイミングでウィンターリーグの存在を知り、単身カリフォルニアへと渡った。


そこでは出場機会を増やし、レギュラーとして活躍した。逆方向にHRを打った翌日には大柄なMLBの卵とも言える選手たちを押しのけ、4番にも座った。

1試合約4打席立つことができる日々を送り、野球に対しての未練を断ち切ることができた。


「ウィンターリーグで結果を出し、大学時代の努力の成果をここで出すことができた。そこから完全に切り替えてビジネスマンとしてやって行こうという気持ちになれたんです」


鷲崎さんのアメリカでの経験が元になった(写真:本人提供)



帰国後はファーストリテイリングに就職。GUの店長として店舗にも入り、本部で要職に就くなど、着実に地位を築いていった。当時の経験も今のJWLでの活動に生きているという。


「ファーストリテイリングに入って本当によかったです。僕は”巻き込み力”が強みだと思っているのですが、そこは店舗時代に培われました。会社は”世界一のアパレル製造小売業グループになる”を掲げているのですが、僕も本気で目指していました。

店舗ではアルバイトさんたちをまとめながらやっていくのですが、『この人たちをどう巻き込んでモチベーションを上げていくか』が今の仕事に役立っています。高い目標を掲げて言い続けることが大事なことに気づけました」


ファーストリテイリング時代の経験が生きたと語る



30歳で起業をすることを目標に置いていたが、その前に退職しITの会社を興した。

会社で事業化を進める傍らで、JWLの立ち上げを決意。カリフォルニアのウィンターリーグでチームメートだった山田京介さんとともに、本格始動した。


ここで山田さんへの感謝を語った。同氏はウィンターリーグ立ち上げを提案した1時間後には球場確保に向けて動き出していたという。


「彼の行動力とスピード感があったからこそ、構想から1年半で実現までたどり着けました」


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