【令和の野球キャリア⑯】「野球って何でやるの?」 早大野球部から広がる、“野球関係人口”を増やす「あそび場」の挑戦


普段は早稲田大学野球部がハードな練習を行う安部磯雄記念野球場で、その日は親子でボールを打って楽しそうに走り回ったり、鬼ごっこをして笑顔で駆け巡ったり、朗らかな光景が広がっていた。


まもなくゴールデンウイークを迎える4月26日、2025年初の「あそび場」が実施された。


「子どもたちが自由に遊べる場をつくりたいのが一番です。最初は、野球のために何かしなきゃっていうところもあったんですけどね」


そう話したのは東京農業大学でスポーツ科学を研究し、2015年に母校の早稲田大学で「あそび場」を始めた勝亦陽一教授だ。文字どおり、早大野球部のグラウンドを開放し、近隣の親子を中心に自由に遊んでもらっている。



野球に興味なし→常連に


参加費は無料で、小学1〜6年生の男女が対象だ。早稲田大学の卒業生をまとめる校友会が主催し、勝亦教授ら野球部OBが運営、公式戦に帯同しない現役部員が手伝っている。


最初は野球人口減少に危機感を持ち、子どもたちへの野球教室を始めたが、もっと気軽に遊んでもらう形に変えた。そう説明するのは自身も早大野球部出身で、現在は東京経済大学で特任講師を務める押川智貴さんだ。


「当初、OBとしてできるのは野球を教えることだと思ったけれど、それだけではなかなかパイが広がらないなと。そもそも野球を知らないという子も結構いるので。テレビの地上波放送が少なくなり、子どもたちは野球以前に外遊びをあまりしていません。

野球をする場所がなく、習い事が忙しいので。そこを何とか解決しないと……という方向にシフトしていきました」


活動の意義を説明する押川氏



あそび場がイメージするのは、昭和の頃の公園だ。

放課後、学校を終えた子どもたちが集まってきて、自然発生的に野球やサッカーをして駆け回る。たまたま居合わせた子が仲間に加わり、遊びの輪は気付けば大きくなっているのが日常の光景だった。


それから時代が移り変わり、令和7年の現在。小6の娘と小4の息子が自由に遊べる場を求めてやって来るのが、近隣に住む中山宗亮さん一家だ。


「あそび場が開催されるときは、子どもたちを連れてほぼ毎回来ています。野球にそこまで興味があるわけではなかったけれど、グラウンドで遊べるなら行きたいと。毎回告知を見て、『次はいつ行けるかな?』と楽しみにしています」


数年前、子どもたちの通う学校で配られたチラシを見て、興味を持ったのがきっかけだった。


「ここに来ればボールを思い切り投げたり、打ったりできます。普段、公園ではなかなかできないですからね。学校の先生たちと違い、あそび場を運営する野球部のOBの方々は今も野球を楽しんでいます。そういう方が一緒に遊んでくれるのはいいですね」


あそび場は口コミで徐々に広がっていき、現在は50家族が参加する日もあるという。



サッカー親子も大歓迎


あそび場は東京六大学の春・秋のリーグ戦が開催される期間の特定日、“遊休不動産”となっている安部球場を開放して実施。

2025年秋は9月28日(日)と10月5日(日)の13〜15時、10月18日(土)の朝10〜12時に行われる。


毎回時間が決められているが、一般的な野球教室と違い、参加者は好きな時間に来て、自由に遊んで帰ればいい。なかにはサッカーのユニフォームでやって来て、思い切りボールを蹴っていく親子もいると押川さんは言う。


「この付近には、自由にボールを蹴れる公園がほとんどないですからね。『野球場でサッカー?』と思う人もいるかもしれませんが、そもそも運動好きな子を競技で取り合うのはナンセンスですし、この場所を有効活用してほしい。

子どもたちに体を動かすことの楽しさが伝わり、『僕は野球が好き』『私はサッカーがしたい』となっていけばいいと思います」


鬼ごっこや野球遊び(簡単なバッティング)を手伝うのは早大野球部OBや、公式戦に帯同せず居残る現役部員たちだ。

優しいお兄さん、お姉さんが絶妙な声かけをして、子どもたちを夢中にさせる。野球遊びの輪は、時間を経るに連れ大きくなっていった。


3年前、中山さんの息子と娘と一緒に遊んでくれたのが、当時卒業を控えた蛭間拓哉(現西武)だった。


「それから蛭間選手を応援にベルーナドームに行くようになりました。以前はキャッチボールをするくらいで、野球観戦に行くことは全然なかったけれど、蛭間選手が入団1年目に見に行き、応援できて良かったです」


早大OBで現在は西武で活躍する蛭間選手



中山さん一家のように、“結果的”に野球の輪があそび場から広がっていくのは勝亦教授の描く理想だ。


「大事なのは“野球関係人口”です。野球をやっている人の数だけにとらわれすぎると、野球は本当に発展するのかなと思うので。野球をやっている人、野球がつくってきた文化、そして野球そのものの魅力。この3つの要素について、分けて考えることが大事だと思います」


野球をやっている人の代表格は、現在なら大谷翔平(ドジャース)だ。

野球がつくってきた文化の一つには、高校野球の甲子園がある。


では3つ目、野球そのものの魅力とはどんなものだろうか。勝亦教授が続ける。


「野球界の人たちは『野球ってみんなやるものでしょ?』と思い込んできたので、そもそも『野球って何でやるの?』、『野球ってこんなにいいんですよ』と説明できる人がほぼいません。それは野球界の怠慢ですよね。


今後は3つの要素を分けて考えて、それぞれをしっかりやっていくことが大事だと思います。それぞれに紐づく人、つまり野球関係人口をいかに増やしていけるか。

例えばプロ野球ファンは応援をする人たちだけど、文化じゃないですか。そこに紐づく人がたくさんいます。野球をやる人だけに注目してしまうと、野球の社会、野球の未来はよく見えてきません」


母校・早稲田大学で「あそび場」を始めた勝亦教授



昭和と同じ光景が広がる「あそび場」


取材日は一塁ベンチで東京六大学の春季リーグに臨む早稲田大学の模様がインターネット中継で流され、居残り組の大学生やOBが歓声を上げていた。


バックネットの付近には、親子でバッティングに興じる姿がある。内野で大学生と鬼ごっこをしながら駆け回る小学低学年の男女は、心から楽しそうな笑顔を浮かべている。


昭和の頃、当たり前のように存在した公園のあそび場が、早稲田大学の安部球場に広がっていた。その様子を、勝亦教授は満足気に眺めている。


「野球チームに入っていない子たちがバットを持ってきて、みんなと一緒に遊んで帰る。二人で来て、黙々と練習に打ち込んでいる親子もいる。そのそばではお母さんがめっちゃ張り切っている家族など、ここにはいろんな人がいます。見ているだけでも面白いですね」



昭和から平成、令和と時代が移り変わるなか、野球と関わる形も多様になってきた。今後どうすれば野球は広がっていき、その価値を高めていけるか。


地域に開かれた大学という場で、ボランティアたちが運営する「あそび場」には、スポーツの原点と言える光景が見られた。



(文・撮影/中島大輔)

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