「2025第2回ユース Baseball5 アジアカップ」初のアジア一の裏にあった綿密な戦略の数々とは?


3月11日〜14日に台湾・台北市で行われた「2025第2回 ユースBaseball5 アジアカップ」。


侍ジャパンBaseball5ユース日本代表はアジア一の称号を手にした。


日本としては初のアジアカップ参加で優勝を果たした要因には、首脳陣が前年世界を戦った経験と先を見据えて考え抜かれた戦略があった。


指導者として共に日の丸を背負った本池太一監督(東京ヴェルディ・バンバータ)・六角彩子コーチ(5STARs)に伺いながら、優勝の軌跡を紐解いていく。


(取材 / 文:白石怜平 、 写真提供:BFJ)



「決勝を迎える時に一番強くなっていたい」


まず本池監督は、初のユース代表となったチームについて振り返った。


「競技経験の浅い選手が多かったので、既に上手い選手を集めたのではなくゼロから急造で作ったチームでした。その中でも選手たちは競技性を理解しながら、すごく頑張ってくれた大会でした」


代表選手は16〜17歳の高校生で、競技歴も2月の選出時点で3ヶ月から半年の選手で多く構成された。本池監督そして六角彩子コーチは、昨年選手として国際大会を戦った経験を注入する役割も担った。


監督は自ら話した"急造チーム"をどのように作り上げていったのか。


「大会までに選考会3回と強化練習を行ったのですが、もちろんここでは完成しないと思っていました。現地に行ってから多く練習したいと考えていたのですが、『決勝を迎えるときに一番強くなっていたい』。そのプランを描いていました」


現地入り以降も練習を重ねた



選考過程で重視した一つがコミュニケーション。選考会においても両首脳陣が揃って挙げていた項目だった。短期間で最高のパフォーマンスを出すために、監督は言葉の力で磨き上げた。


「思春期の多感な時期なのでお互いなかなか言い合えなかったり、コーチに話しづらかったり、そういうシーンはありました。


私が最初の練習で言ったことは、『監督やコーチも同じユニフォームを着てベンチに入ってやる競技だから、みんなで一体となってやろう』と話をしました。


移動する前日に羽田空港の近くで宿泊をしてから台湾に行ったのですが、一緒に同じ釜の飯を食うことで、一体になってコートの上でも力を発揮できるようになっていきました」


六角コーチも重点的に伝えたポイントが技術面よりもコミュニケーションだったという。


「Baseball5は一瞬の判断を強いられる場面が多くあります。その時に仲間とどれだけ意思疎通できるか、どれだけ仲間を信頼してプレーできるかが大事になります。そのため『コミュニケーションを大事にしよう』と何度も伝えました」


いざ試合になると、選手同士で自ら連携を深めていくチームへ変貌していったと語る本池監督。大会を通じてチームの変化は明らかだった。


「主体性を身につけてもらうために、声をかけようと思った時に引いたりもしました。あと試合を進めるにおいて我々に意見を聞かずとも、自主的にやれるようになっていきました。初戦と決勝ではもう違うチームと言えるほど大きな成長がありましたね」


決勝の時点で最高のチームが完成されていた



ターニングポイントは唯一の敗戦


侍ジャパンはオープニングラウンド6試合を5勝1敗で決勝へと進出した。その1敗が本池監督が「ターニングポイントだった」と語るチャイニーズ・タイペイ戦だった。


これまでの3試合(タイ・マレーシア・香港)は全てストレート勝ちで順当に進んできたが、チャイニーズ・タイペイ戦では第1セットで4-0、第2セットは8-3で攻守に精彩を欠く展開となった。


「特に男性選手のパワーと技術の精度が高いと感じました。他国のデータは少なかったのですが、台湾は2年ほど前からユースチームを立ち上げて、この大会に臨んでいたことを聞いていました。


なので台湾だけは強いことを知っていましたが、実際に対戦して想像以上に強かったです」


チャイニーズ・タイペイとの初戦が転機に



ただ、リベンジの舞台をすぐに手繰り寄せる。イラク・韓国に再びストレート勝ちを決め、決勝で再びチャイニーズ・タイペイと再戦することとなった。


実は敗戦を喫した際に本池監督はある言葉をかけていた。


「4戦目に負けた後、選手たちに台湾の印象を聞いたら、『技術やパワーがすごくて強いチームでした』と。


私から話したのは、『そうか?』と(笑)。(2月の)強化合宿では、オープンの代表選手たちとも練習していたので、選手たちはもっと高いレベルを体感して臨んでいます。


なので、『オープンの選手たちは台湾に勝っているし、むしろ相手が六角コーチのことをすごいと思って見ているよ。だから、そこまで自分たちが下と思わずに戦えばいいんだよ』と話をしました」



六角コーチも同じくこの敗戦した試合を挙げていた。


「予選で一度負けたことが大きなポイントになったと感じています。


とても悔しい思いをしましたが、そのおかげで選手たちには『何が何でも勝ってやるんだ!』という強い気持ちが芽生えた。


そんな状態で決勝戦に臨むことができましたし、さらにチームが一丸となったと思います」


2人は共に敗戦がさらにチームを強くした と語った



上で述べていた「決勝を迎えるときに一番強くなっていたい」という構想。それはチームワークを固めるだけでなく、戦略面も交えながらストーリーを作っていた。


「先ほどの話に繋がってきますが、選手たちは敗戦を経験して強くなっていくこと、一方我々首脳陣は全員に試合の経験を積んでもらって、”誰かに頼るチームにしない”ことを目指しました」(本池監督)


決勝で着実に効いた”ボディーブロー”


それが体現されたのが決勝戦だった。スターティングメンバーは平野将梧(横浜隼人Aggressive)・小椋雄仁(日大二高・中京大中京5)以外を変え、さらに全て異なる打順で臨んでいた。


「台湾はメンバーを固定していたのですが、日本は毎試合違うメンバーで臨んでいたので、相手に絞らせないことを意識していました。


あともう一つ、私も昨年経験したのですが日程による体力面。3日で6試合戦った後に4日目となると体も応えてきます。日本は負担を分散させる、かつ全員が経験値を上げてこの試合を迎えていました」


決勝で再びチャイニーズ・タイペイと相見えた



また、初戦は男性3・女性2だったのを、決勝では女性3・男性2と男女比においても構成を変更。


さらに本池監督は驚くことに「決勝の1セット目をあえて捨てる形をとりました」と口にした。


オープニングラウンドで0−2で敗れ、さらに決勝で初戦を捨てる。それは”もう1セットも落とせない”という窮地に追い込まれる状況を意味する。だが、そこにも首脳陣の明確な意図があった。


「決勝の初戦では選手たちに『このセットは落としても良い。しっかりボディーブローを打ちに行こう』と伝えました。


ショートに雨堤(花帆:Hitachi Bravo5)を入れて、男性選手の打球に食らいついて一つでいいからアウトを目指す。小椋はミッドフィルダーの女性選手に強い打球を放って攻守で精神的なダメージを与える。


このように1セット目でジャブ打ちをした上で、2セット・3セットで勝負しにいきました」


強打で攻撃陣を牽引した小椋雄仁



そして絶対に落とせない2セット目。ここからが本当の勝負になった。


「2セット目・3セット目は先制点を挙げることを重視していました。逆方向へ打つのが長けている渡辺隼人(横浜隼人Brave Heart)を3番に入れ、星(優大:横浜隼人Aggressive)・平野と3人で無死満塁のチャンスを作れるようにしたのが的中しました」


このチャンスを谷尾心瑚(Spirit Bonds YAMASAKI)・森本愛華(日大二高・中京大中京5)が続くなど初回に一挙5点。さらに2回にも6点を加えるなど攻撃陣が機能し、12−5と大勝し流れを掴んだ。


一つも落とせない試合で先制点を挙げた谷尾心瑚



「1セット目で特に守備で女性選手が頑張ってくれて、台湾の男性選手が疲労なのか動揺したのか、オープニングラウンドのときのプレーではなかった。


その意味でボディーブローを打てたのではないかと思います。2セット目に12点を取って終えた時には五分五分ではなく、完全に日本が有利という状況を作れました。


2セット目の序盤に11点取れたので、早めに森本を下げて3セット目の準備をさせていましたし、常に監督・コーチは先を考えていましたね」


日本が放ち続けた”ボディーブロー”は勝負の3セット目にもしっかりと効いていた。



後編へ続く

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