【ONE TAP SPORTS活用法 第2回(後編)】「晩熟の子を取りこぼさないように。前橋中央ボーイズからプロになった“普通”の中学生からの学び


 NPO法人「前橋中央硬式野球クラブ」が中学生年代を二つのチームに分けて活動し始めたのは、今から16年前の2008年にさかのぼる。


 現在は ONE TAP SPORTS(ワンタップスポーツ) のアプリを使用し、成長度合いや希望する進路に応じて“早熟系”が前橋ボーイズ、“晩熟系”が前橋中央ボーイズと二つのチームに振り分けているが、当初は異なる基準だった。春原太一代表が振り返る。

「例えば同じ力量のキャッチャーが2人いるとして、両者を同じチームに入れておいたほうが強くなると思います。でも試合に出場させることを考えると、違うチームに振り分けたほうがいい。どうすれば試合に多く出られるかを考えて分けました」


 チームを二つに分ける上で、大きな転機になったのが2007年に開催された第1回ジャイアンツカップだった。


 出場を目標に掲げて「しゃかりきに」なってベスト8に進出した一方、ベンチ入りは15人に限られたため、スタンドで応援しているだけの選手が5、6人いた。グラウンドでは中学時点で成長の早い子たちの力で結果を残したが、春原代表にはチーム全体のあり方に疑問が残った。

「ボーイズリーグ以外のチームと試合をし、全国で勝ち上がる中学チームはやっぱり“こういう形”なのかと感じました。早く大きくなった子たちに野球の組織的な戦術を仕込んでいくチームと、タレント性豊かなピッチャーがいるチームが勝つんだなと。そうやって戦えば、別にうちであろうが他のチームであろうが、どこがやっても勝ち上がれるとわかりました」



「人の成長期は本当に難しい」

 じつはこの数年前、春原代表にとって育成のあり方を大きく見直すきっかけがあった。卒団生で前橋工業高校の星秀和が西武ライオンズに2004年ドラフト5巡目で指名されたのだ。


 星が初めて前橋中央のグラウンドに来たのは小学6年生の頃だった。打撃練習を行わせると、外野の芝生まで届かずに失速した打球を春原代表は今も覚えている。


 対して、星を連れてきた“早熟系”の選手は快打を連発した。小学生の頃から有名で県内の名門・桐生第一高校に進み、甲子園にも出場した。


 だが6年後、プロに進んだのは星だった。中学生で身長が止まった同級生たちを尻目に、星は中学3年生で一気に背丈を伸ばし、最終的には180cmに到達した。前橋工業に進学後は3年夏の群馬県大会で準優勝に導き、打てる捕手と評価されて高卒でプロの世界にたどり着いた。


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