
「どのような指導者になりたいですか?」
7月3日、東京都板橋区の中学野球で指導に携わる18人が参加した指導者講習会の冒頭で、講師の阪長友仁氏から質問が投げかけられた。
Aコーチ「うまくするというより、まずは野球を楽しんでもらいたい。それを前提にした上で、野球を通じて礼儀であったりを教えられたらいいなと思って日々指導しています」
Bコーチ「選手の邪魔をしない指導者になりたい。野球は楽しいので、野球を楽しむのをこちらで邪魔をしない。勝手にやる気が出るような導きができたらなと思います」
もちろん正解はない。大事なのは「指導者は何のために存在しているか」を踏まえ、選手とどんな関係性を築いていけばいいのかを突き詰めていくことだ。
その上で阪長氏が伝えたのは、選手とコーチは立場こそ違うものの、対等な関係を築いていくことの重要性だった。
本稿では詳しく述べないが、選手とコーチは同じ人間同士であること、さらにリスペクトやスポーツマンシップを考えれば、その意味は自然とわかるだろう(詳しく知りたい人は、阪長氏の著書『育成思考―野球がもっと好きになる環境づくりと指導マインド―』参照)。
19校の野球部を17クラブに再編
「そもそも思考を変えていきましょう、という意味もあり、まず今回は指導者の講習を始めました」
そう語ったのは、板橋区教育委員会事務局 多様な学び推進担当課長の濱野有樹氏だ。
板橋区は2024年3月、区立中学校の部活動地域移行実施計画を作成。
まずは女子サッカー、eスポーツ、サイエンスクラブ、ロボット数学という部活動にない4つを地域クラブとして始めた後、2025年4月、板橋地域クラブの一つとして野球部の地域移行を行政主導でスタートさせた。
既存の部活動はさまざまあるなか、なぜ野球部を対象としたのか。濱野課長が説明する。
「全国の中体連さんの10年予測を見たとき、メジャーなスポーツのなかで野球人口の減り幅が他の種目に比べて多いという結果が出ていました。昭和の頃は野球ばかりという時代だったのが、野球は少し選ばれにくくなってきた。もしくは他の競技に流れたこともあり、将来的には競技人口が減ってくるのではないか。
そこで板橋区は、ハードルとしてかなり高いことは承知の上で、野球にチャレンジしようとなりました」
板橋区には20の区立中学校があるなか、19校に野球部があった。そのうち3つは部員が9人に満たない状況だった。彼らは単独チームとして大会に出られず、日々の練習でも士気が上がりにくいという状況を踏まえ、中学野球部を母体に17クラブに再編して地域移行をスタートさせた。
「チーム数は減ったように見えますが、拠点校に複数の中学から選手が来てくれているので、総数的にはほぼトントンです。生徒の活躍の機会を確保するという意味でも、一つのケーススタディになったと思います」(濱野課長)
部活動は部員に加え、顧問がいないと成立しない。その意味で板橋区の地域移行は、現行の課題を解決しようという挑戦でもある。
なぜ受益者負担ゼロでスタート?
クラブチームの指導者は、希望する教員と外部指導員が着任。後者だけで構成されるチームもあれば、教員だけのチーム、両者が混在するチームもある。
報酬は、民間指導者は時間ごとに単価を設けて決定。教員は部活動とのバランスを踏まえ、月額3万円。現状、区の一般財源からの持ち出しで賄っている。
受益者負担なしで始めたのは、「野球をするのにお金がかかるなら、やめよう」となることを考慮してだ。女子サッカーなど先に始めた4クラブは月額2000円を徴収しており、野球でも新チームが始動する9月以降は1000円の会費を発生させる予定だという。野球だけ半額とするのは激変緩和の意味合いで、2026年4月からは同2000円にする意向だ。
活動日は基本、週のうち5日間。週あたりで11時間を目安にしている。
平日の2日間に2時間ずつ、さらに土曜の午前中に活動して10時間未満というチームが多いが、5日間×1時間というところもある。17クラブは中学の校庭を借りているという事情もあり、学校ごとの特色を尊重するためだ。
「リーガ・メソッド」で成長へ
以上の状況のなかで、生徒の成長機会をいかに確保していくか。そこで板橋区が知恵を借りたのが、冒頭で登場した阪長氏だ。
同氏は「リーガ・アグレシーバ」という、高校野球にリーグ戦を導入しようという取り組みを2015年から行なっている。当初は大阪府の6校で始まり、2025年現在は36都道府県の191校に拡大した。
負けたら終わりのトーナメント戦ではなく、一定以上の試合数が確保されるリーグ戦のほうが選手の成長につながりやすいという制度設計に加え、投球数の制限、低反発バットの使用、スポーツマンシップの学習なども支持を集めている。
板橋区はこうした点に注目し、「リーガ・メソッド」を活用した成長プログラムを学ぼうと考えた。濱野課長が語る。
「新しい価値を提供できないと野球をやめる人が増えてしまいかねないので、阪長さんのような方に指導者を指導してもらおうと考えました。1回では絶対に意味がなく、何回もやることで浸透していくと阪長さんも話しています。
そうして指導者が変わっていけば、生徒自身から寄り添ってくれる。学校の先生に限らず、板橋にはいろんな指導者がいると広まっていけばいいと考えています」
どうすれば部活動は持続可能で、さらに新たな魅力を創出していけるのか。
行政主導で野球部の地域移行を進める板橋区と、高校野球に新たな価値をもたらそうと活動している阪長氏が力を合わせ、新たな挑戦に挑んでいる。
(文・撮影/中島大輔)
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