【令和の野球キャリア②】「1日をやり切ったか?」 ドラフト候補・浩成を育てた父・広池浩司の“適度な距離感”


大学3年生で最速156キロを計測し、SNSでは自らの上達法を投稿して多くのフォロワーを抱える。父親は元プロ野球選手で、自身は来秋のドラフト候補投手。さまざまに注目を集めているのが、慶應大学の右腕投手・広池浩成だ。


「すごくないですよ。プロと比べれば(笑)」


冗談めかしたのは、実の父であり、今年から埼玉西武ライオンズの球団本部長を務める広池浩司氏だ。


現役時代に広島東洋カープで左腕投手として活躍していた頃、同氏は第一子の浩成を授かった。


「やっぱり特殊な環境ですよね」


昨今、野球界では二世選手の台頭が目立つ。なかでも注目を集めるのは東京大学の渡辺向輝(父は元ロッテの渡辺俊介氏)や慶應大学の前田晃宏(父は元広島の前田智徳氏)、立教大学の大越怜(父は元ソフトバンクの大越基氏)など、東京六大学で活躍している選手たちだ。


プロ野球選手の子どもたちが、いわゆる恵まれた環境にあるのは間違いない。父親の職業柄、周囲とは大きく異なる境遇に置かれている。広池氏が語る。


「家にはバットもボールも転がっていて、母親もオヤジの野球を見ている。プロ野球選手がしょっちゅう家に来たり、野球に興味を持つ環境はバッチリそろっていました」


自身の経験を踏まえ、息子には「我慢」


物心がついた頃には浩成もカープファンになっていたが、広池氏は「野球を絶対やれ」とは望まなかった。「野球のしんどさは十二分に味わってきた」からだ。


もちろん野球の楽しさも同じくらい知っている。息子は父の遺伝子を受け継ぐ一方、周囲から特別な視線を向けられることになるため、本人が「やりたい」と言い出すまでチームには入れなかった。


少し遅めの小3で地元チームに加入し、現在に至る可能性の芽が見え始めたのは小5の頃だった。


「これはピッチャーだろうな、というのがわかりやすかったんです。体を強くして、野球を楽しみながらいけばいいだろうなというのが小学5年生くらいで見えたので、すごくおおらかに接していました」


野球におけるピッチャーは、誰より先にアクションを仕掛けるポジションだ。投じられた球を打ち返すバッターは“反応”を求められ、高いレベルで経験を重ねることが成長には必要になる。


対して、“主体”の投手は自分のペースで能力を磨いていけばいい。


広池氏はそう考え、息子を見守る上でも実践した。


「もちろん、言いたいことはいっぱいありますよ。見れば、『これではダメだろう』というのがわかるので。でもケガをするような投げ方や打ち方でなければ、自分で気づくまでジッと待っていました」


言いたいことを我慢できたのは、広池氏自身の経験によるところが大きい。


中学時代は硬式チームに所属する予定だったが、実力を買われた野球部から「平日だけでいいから、どうしても」と請われて両方に所属した結果、投げすぎて「肘がぐちゃぐちゃになった」。指導者に投球フォームを指摘され、感覚がおかしくなったこともある。


「ピッチャーは体を強くし、自分の投げ方で元気に楽しく投げることが一番。小中くらいまではそうだと思い、自分の子どもに実践しました」


浩成にボールを持たせると最初は両手で投げていたが、自然と右投げになった。バットは左打ちだが、右でも打つことができる。


「右のほうがきれいだなと思うけど、本人が左で打ちたいようだったので」


広池氏は投げ方も打ち方も何も言わなかった結果、浩成の右投げ左打ちという珍しいタイプは自然とでき上がった。


ちなみに広池氏は左投げ左打ちだが、鉛筆やスプーン、テニスや卓球のラケットを持つのは右手だ。父、息子ともに両利きで、遺伝子が受け継がれているが、野球のボールは異なる腕で投げている。


広池浩司氏


中学受験を認める「条件」


広池氏は息子に技術的なことを一切指摘しなかったが、気持ちの面は小学3年生から言い続けた。よく伝えたのは、投手としての心持ちだ。


「マウンドに立つ人間は誰よりも偉そうに、ちょっと高いところに立っている。守備だけど、これは攻撃だからな。ボールを持っているほうが『守り』なんて言うのは、スポーツで野球だけだ。攻撃だぞ。先頭に立って相手に立ち向かって攻撃する者が、ちょっとした失敗や味方のミス、自分のミスで絶対に下を向くな。何があっても胸を張って投げろ」


技術的なことは口にしない一方で、なぜ気持ちについては言い続けたのだろうか。


「技術はガラス細工だと思っているので、変に教えて連動が失われると絶対に良くない。マイナスが出る可能性があるので。でも気持ちに関しては、伝えてもマイナスはないかなと。理解するか、しないかは別にして、言い続ければそのうち理解することがあると思っていたので」


浩成は慶應中等部を受験して合格するが、広池氏はもともと高校受験でいいと考えていた。それが小学4年生で塾に通わせ始めたのは、母親と一緒に「チャレンジしたい」と自ら言ってきたからだ。


広池氏は条件を一つ出した。「睡眠は絶対に削るな」というものだ。


「体が資本というのは、野球に限らず絶対です。塾は9時まであるけど、条件は10時までに寝ること。妹もそうだけど、よくやり抜いてくれたと思います」


慶應中等部に合格し、高等部に進学。高校では控え投手という位置づけだったが、野球部の森林貴彦監督は光るものを感じていた。


特に印象に残っているのは、ある年の正月休みにグラウンドを訪れると、自主トレをしている浩成の姿があったことだ。聞けば、元日も練習しに来ていたという。森林監督が振り返る。


「向上心はすごく高かったですね。でも、どうすればいいかという方法は、高校生の時はだいぶ未熟でした。いろんな方向に行ってドーンと壁にぶつかって、またペランとなってと、ガタガタやっていました。でも、自分の決めた方向に対してとことんやる。そのエネルギーは教えられるものではない。お父さんがかいたから今のようになったとは、お父さんも思っていないんじゃないかな」


浩成の高校時代を知る森林貴彦監督


寝る前の自問自答


広池氏は息子の貪欲さについて、「自分が植え付けたという思いはそんなにない」と語る。「強いて言えば」と続けたのが、床に就く直前、1日を振り返らせることだった。


「その日、眠ろうとした時に、1日にやるべきことをやり切ったか?」


寝る前の自問自答は、広池氏も行ってきた習慣だ。


「将来設計ってすごく大事だと思うけど、自分は特に若い頃、その日どう全力を尽くすかに特化していたんですね。1週間単位で見れば、その日にやるべきは休むことかもしれない。その日暮らしという意味ではなく、多少の計画を立てた上で今日休むなら全力で休む、全力で気分転換する。

そうやって1日をすごして、寝るときに『やり切った』と言える日々を積み重ねれば、必ず道は開ける。自分自身がそうだったので、それは伝えていたと思います。それくらいで、あとはたまたまそうなった(笑)」


こうして大学3年の時点で、注目を集める二世選手へと成長した。


もちろん、活躍は本人の努力の賜物だ。同時にその裏では、恵まれた環境も助けになってきただろう。


取材者として客観的に感じたのは、父親と二世選手の「適度な距離感」だ。技術的なことは決して言わないが、心持ちだけは伝え続けた。


将来に向けて息子の土台を養おうとする親心が、大きな指針となった。その姿勢は、グッドコーチと共通するものかもしれない。


 

(文・中島大輔)

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