「あの3年間を何とかお金に変えたかった(笑)」『ドラフトキング』作者に聞く野球の楽しさ


 野球界には、実際の野球現場とは別の場所から野球界に貢献する人々がいる。日本では、漫画文化が根付いているが、野球を題材にした漫画は多い。漫画を通して、「野球を知る。好きになる。」という普及に貢献している漫画家も多く存在する。人気漫画家クロマツテツロウさんもそのうちのひとりだ。

漫画「野球部に花束を」では高校時代の「野球部あるある」な日常を描いて共感を呼び、実写映画化もされた。「ドラフトキング」ではスカウトが主役という独特の視点からの野球を描いて注目され、実写ドラマが放送されたばかり。新たに連載中の漫画「ベー革」では、昭和のスポ根とは正反対の効率型現代野球を描く。どのように野球と関わりを持ち、どのような思いで野球を描いているのかをインタビューした。

 第1回は、クロマツさんの野球歴と『野球部に花束を』に見られる野球観について聞いていく。『野球部に花束を』は、中学で野球をやっていた主人公が高校に進学し、理不尽な指導者や先輩からの圧力、謎の伝統などに四苦八苦しながらも、仲間とともに野球をしていく様子が綴られるコメディ漫画。スーパースターも天才もいない、強くない野球部の日常が共感を呼んだ。




ーークロマツさんは高校の野球部を引退した後美術部に入り、美大を経て漫画家になったという経歴。野球専門誌にご自分で売り込みをされ、菊地選手さんと「野球部あるある」を作ったことが「野球部に花束を」にも繋がりました

 いや、なんかもう、暗黒とも言えるあの3年間をなんとかお金に変えてやろうと思っていました(笑) 本当に。野球部の当時の恩師の監督には、すごい怒られるかなと思ったら、結構喜んでました。

ーーご自身の野球のベースからお伺いします。野球とはどんな風に出会ったのでしょうか

僕は8個上の兄が野球をやっていて。ちっちゃい奈良の田舎なんですけど、 学校の通学路に、その少年野球チームの監督が住んでいたんです。

通るたびに「テツ!! 野球やるぞ!」みたいに窓から叫ばれる(笑)本当はサッカーやりたかったんですけど、もう野球やるしかなくなった感じですね。

ーー野球を見てはいたのでしょうか

 父が阪神ファンだったので、自宅のテレビではプロ野球が結構流れていました。でも見ててもやっぱり子供には退屈でしょう。小学校3年までは野球部に入れられたくないっていう方が強かったんです。坊主にしなきゃいけなかったので。

ーーその後は結局、野球を始められたんですね。

 そうですね。見学に行ったら、当時、少年野球って結構いい意味で適当だったので。その日は練習試合で登録してない選手を出したりしてくれて、僕、代打でいきなり打席に立たされたんです。その時に、6年生のピッチャーの投げた球がすごくて、空振り三振したんですけど、あ、これめっちゃ面白いかもしれんって思って、はじめたんです。

ーー当時の少年野球の指導は、のびのびとした指導だったんでしょうか 

 いや最初は優しかったんですけど、入ったらゴリゴリで恐ろしい集団でしたね(笑)まあ僕らの時には、結構普通にどつかれたりってあったんで、そういうことはありました。。

ーー中学で軟式の野球部に入られて、坊主にされたそうですね。中学校の野球部はどんな感じでしたか

 小学校の野球は夏ぐらいで終わって、冬はサッカーやってたんですよ。中学に入った時に本当に迷いました。サッカーと野球で。でも、サッカーはすごく先生が怖かったんで、野球にしようと決めました(笑)チームはすごい弱かったですね。公立校だったので、毎年先生が転勤して、監督が変わるんですよ。指導者には本当に恵まれなくて、 野球をちゃんとやってきた人が全然いなかった。3年生の時に、野球部が強い中学校から顧問の先生が異動してきてくれて、そこで初めて、”野球”というものを少し教えてもらえたんです。

 それがきっかけで高校でもやろうかなと思うようになりました。適当にやってたけど、 打てたりとか結果が出てた。ちょっといけるかもなと思って、「野球部に花束を」みたいな高校に入りました(笑)



野球部に花束を1巻の表紙

©︎クロマツテツロウ/集英社

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