【優勝/準優勝監督インタビュー】王子・湯浅監督が振り返る都市対抗大会(前編)

このまま終わるのか

完璧な試合運び。


社会人野球の強豪・パナソニックにいいようにやられて敗色濃厚の展開に、就任して4年目になる王子・湯浅貴博監督はふと自問自答した。

「湯浅がやってきた王子の野球ってこんなものだったんだろうか」

第96回都市対抗大会1回戦の9回裏、2点ビハインドでのことだった。


しかし、事態は急展開する。


「ファンの方が見て面白い野球って何なの?と思うと、終盤の逆転劇だとか、あきらめないところからミラクルみたいな形になるっていうのが見ていて面白いんだろうなと思って粘り強い野球を僕はやってきたんですけど、9回を迎えて完璧にパナソニックさんの野球をやられていて、このまま終わるのかと。

それでベンチを見渡したら、選手たちが全然諦めていなかった。前のめりになって絶対逆転できるっていう空気を作っていたんです」

 

そこから奇跡は起きた。2死二、三塁のチャンスを掴むと8番・細川勝平の2点適時打で同点。タイブレークに持ち込むと、表に3点を取られる展開にはなったが、そこから試合をひっくり返したのだった。まさかの逆転劇だった。

 

窮地の試合を乗り切るとチームは勢いに乗った。2回戦をサウスポー・樋口新による完封勝利で4−0を制すると、準々決勝は九谷瑠が8回無失点の好投でJFE東日本に快勝。準決勝は樋口―九谷のリレーでヤマハに競り勝った。

どれも王子らしい粘りの野球勝ち上がりで21年ぶりに頂点に立ったのだった。湯浅監督は自身が選手として果たして以来の快挙だった。

 

「選手の時は、ガッツポーズがかっこいいとか思いながらやっていましたけど、監督になってからはそういうのもなく、どうしたらチームにとって一番いいんだ、そんなことばっかり考えていて、喜んでいる余裕はなかったですね。どちらかというとホッとしたような。優勝してやって笑顔になれましたけど。

次の試合もまだあるようなそんな気持ちで優勝を迎えたのを覚えていますね。OBや歴代監督も望んでいたことでしたので、21年もかかってしまいましたが、歴史をつなぐことができて良かったです」

 

とにもかくにも初戦の逆転勝ちが全てだった。あの試合から全てが始まり王子は頂点に立った。とはいえ、なぜパナソニックを相手に1−3という苦しい展開の中、王子は蘇ることはできたのだろうか。そこに王子復活の秘訣がある。


 (写真提供:王子野球部)


王子の強さは「最後の一歩まで」

「王子の歴史を紐解くと、前回優勝時の2004年もそうですけど、粘り強さなんですよね。エリート集団じゃないというのを前提に置いて、ずっとひっついて、しぶとく、『こいつらまだやってくるんだな、怖いな』というふうに思わせるような野球を目指しているんですよね。粘り強くいこうよと。

じゃあ、どうやって粘り強さを身につけていくかという話になってくるんですけど、例えば練習でもトレーニングでも最後の一歩まで走りきるだとか、ラインを越えるまで手を抜かないで走り切る。そういうところは細かく言っている部分です」


例えば、世界陸上の短距離の予選などを見ていると、世界有数のランナーは順位が確定すると流しぎみに走る。隣を見ながらゴールを確認する。世界陸上の選手が悪いという意味ではなく「王子はそういうことをしないということです」と湯浅はいう。


メンタルのための練習にも聞こえなくもないが、大事なことは日頃からの意識の徹底だった。どんなこともやり切る習慣をつけることで人は変わる。日常の練習の当たり前の基準をやり切るということをやり続けたのだった。


いわば、パナソニック戦は敗色濃厚の展開だったが、試合が終わってはいなかった。指揮官でさえ敗戦を覚悟する中、前のめりになっている選手の姿こそ、湯浅監督が就任して以来、浸透させてきたことの一つだった。

言葉や言い聞かせではなく日頃からの習慣が根付き、あの奇跡的な逆転が生まれたということである。

 

もちろん、チームはそうしたメンタル的なものだけに頼って野球をしてきたわけではない。一昨年はベスト4に進出。そこからあと2つを勝つためにどうするべきなのか、チームもスタッフも常に意識してきたという。

 

そうしたチームづくりの中で欠かせなかったのがクラブチームの「矢場とん」から移籍してきたエース格・九谷の存在だった。


湯浅監督 (写真提供:王子野球部)


シンデレラボーイの獲得秘話

九谷は今大会4試合に登板して3勝を挙げる活躍で大会最優秀選手に当たる「橋戸賞」を獲得。

いわばシンデレラボーイだった。先日のドラフト会議では楽天の6位指名を受けた。

 

なぜ、王子はクラブチームにいた九谷の獲得を狙ったのか。


「都市対抗の優勝を考えたときに、歴代優勝されているチームもそうなんですけど、1人で20イニングくらい稼げるようなピッチャーが2人いることが優勝への近道になるんじゃないかという分析があったんです。採用の仕方も優勝するための条件として、『タフなピッチャー、イニングを稼げるピッチャーを獲得したいね』とコーチの清水と話していたんです。


でも、最初から九谷を獲得しに行こうとしたわけではないです。もともと、愛知県内で試合をすることもあっていい投手だなと思っていて、補強選手として呼べないのかなというのは考えていたんです。そして昨年、たまたまウチでプロ待ちしていた選手が指名されて1枠が空いたんですね。それで選手を探していたところ『矢場とんの九谷が退社して独立リーグを受ける』という話が入ってきたんです。そこで獲得しに行こうと。

まず仁義を通すために相手の会社に電話して連絡を取ったら、すごくいい話なのでと本人と話すことができ移籍が実現したんです」


王子の投手陣としては長いイニングを投げる投手が必要というマネジメントが湯浅監督の中にあり、新人の樋口新がその一人で、九谷がもう一人の役を果たすということになったのだった。

 

予選を突破すると本大会に入る前に様々なミュレーションを考えた。その中で初戦は九谷が先発した。樋口は後ろで投げたものの、調子は良くなかった。しかし、2回戦で樋口を先発させると完封勝利。そこから二人を中心にするという形が確立。樋口は先発しても後ろに九谷がいるということが気持ちの支えになり、投手陣は良い循環が生まれたというわけである。


胴上げ投手となった九谷  (写真提供:王子野球部)



準決勝、決勝は樋口が先発。一方、九谷が後ろからしっかり援護。最後は胴上げ投手になった。

湯浅監督はいう。


「捕手の細川のリズムやベンチの雰囲気作りに尽きると思うんですよ。ベンチに帰ってきた樋口に対しても、本当にいろんな選手やコーチが声をかけて、安心させるような空気を作っていました。樋口も素直な子なので、その雰囲気に乗り、疑いなく相手に向かっていたのでそこが良かったのかなと思いますね」。


最後までやり切る、試合を諦めないチームの風土とそして、九谷を獲得したことでできあがった勝利の形。そうして王子は21年ぶりの頂点に立った。


2枚看板の一人としてチームを支えた樋口 (写真提供:王子野球部)



「全く諦めないチームでした。試合ってだいたい予想がつくんですよ。何回も試合をしていると、この流れはまずいんじゃないかという試合があります。そこを押し切って、自分たちのものにしていく。自分たちを信じ切るんだっていうことにおいてはこのチームは『日本一勘違いできるチーム』でした。そこが良かったのかなと思います」

 

最後までやり切ることを恐れなかった。王子の粘り強い野球はそうして復活を遂げて頂点に返り咲いたのだった。


(取材/文:氏原英明)



※後編へ続く

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