社会人名門チームの現役プレーヤーがそのまま”助監督”  判断基準は「チャレンジングな道」かどうか

 

 現役選手なら誰しもが頭の片隅にあるだろう、セカンドキャリアのこと。トップを目指し1日でも長くプレーをする選択肢もあれば、自らの中に目標や期限を定めて線引きをする選手もいるだろう。その道は十人十色である。さまざまな選択肢がある中で、「一番チャレンジングで先の見えないことを選んだ」というのが、2018年まで社会人野球の名門・トヨタでプレーした竹内大助氏。現役としてプレーを続ける選択肢もあった中で、挑戦を選んだメンタリティとは。また、現役からすぐに指導者になり、感じたものを聞かせてもらった。




名門チームのプレーヤーから助監督へ。チャレンジングな道を選んだわけ

 いまから4年前の2018年のこと。当時28歳、トヨタの現役投手としてプレーを続けていた竹内氏は、人生の岐路に立っていた。

「2018年は選手として6年目の年でした。現役の3年目ぐらいから、常に頭の中にセカンドキャリアのことはあったんです。その年の夏ごろに、慶應大学の大久保秀昭監督(現・ENEOS監督)から、『チームスタッフを探している』という話をいただいたんです。現役を続けるか、現役を引退しトヨタで社会人として働くか、お誘いに乗って慶應義塾大学へと行くか、という3つの選択肢がありました。その中で、一番自分として挑戦ができると思った道を選びました」

 悩んだ末に選んだのは、慶應義塾大学へ進む道だった。元々、中京大中京高を経て、同大学で学生時代を過ごしているため、全く縁がなかったわけではない。会社からの出向という形とはいえ、“世界のトヨタ”での社会人キャリアよりも挑戦の道を選んだ。託されたポストは“助監督”。第二の人生、指導者としてのキャリアが始まった。



(写真:本人提供)

指導者になって感じた“いまどき”の選手たち

 当然、指導経験はない。ただ、“転身”する際には誰しもが通る道である。夏に大久保監督から話しをもらって、決断したのは秋のこと。そこから実際に指導の現場に立つまでは3ヶ月ほどの準備期間だった。

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