
(※本記事は前後編の後編。前編を読む)
現在「Spirit Bonds」で活躍する宮之原健選手。
2022年1月から本格的に開始後、早くも国際大会に出場するなど日本を代表する選手へと駆け上がっていった。
しかし第1回ワールドカップの戦いを終えて帰国後、選手としては長期離脱を余儀なくされる。その後の一年は競技の普及活動を行い、昨年はまた大きな節目の年を迎えることになった。
(取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)
一年間のリハビリを経て復帰、新チーム結成も
Baseball5を開始してから10ヶ月で2つの国際大会を戦い抜く激動のシーズンだった2022年。ただ、実はすでに満身創痍の状態だった。帰国後すぐに一つの決断を下した。
「ワールドカップから帰国して1週間後に、右膝の前十字靭帯断裂の手術をしました」
この手術を行えば競技復帰まで約1年を要する。ここまで大きな故障を抱えながら戦っていた。
「ワールドカップ前からギリギリの状態ではありました。サポーターでがっちりと固めていましたから。帰ってきて検査したらもう切れてしまっていたので手術して、まずはリハビリに専念しました」
野球選手を引退後は都内の小学校で教員を務めている宮之原。手術直後は松葉杖生活が1ヶ月ほど続き日常生活もままならない中、周囲の支えを感じる日々だったという。
「学級担任を持っていたので、子どもたちから『先生椅子座って!』と気を遣ってくれたり、先生方からもBaseball5を始めた頃から声援をいただいていました。たくさんの支えとありがたさと、もう一度復帰してパワーアップして世界大会の場に戻ってきたい。そう強く思いました」
復帰するべくリハビリを重ね、フィールドへ戻ってきた(本人提供)
リハビリから始まった23年は選手として復帰の準備を重ねながら、後述する普及活動を率先して行いながら過ごした。
そして24年は選手復帰とともに、大きな節目の年になる。現在所属する「Spirit Bonds」の立ち上げである。
BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズを引退直後にBaseball5を開始し、5STARsも同県に拠点を置いていたことから、引き続き埼玉での活動を続けていた。
しかし、教員の仕事や野球指導なども含め生活拠点が東京へ移っていたことや、「また新しい輪をつくりたい」という想いなどから新チーム結成を決断した。
昨年4月に創設した「Sririt Bonds」(本人提供)
4月からはSpirit Bondsの代表として、さらに活動を強化。選手としてもパワーアップした姿を見せ、結成から1年経たずして今年1月の「侍ジャパンチャレンジカップ 第2回 Baseball5 日本選手権」出場を果たす。
この日本選手権で宮之原はオープンの部では選手として、そしてユースの部では監督として1日コートに立ち続けた。
「あの日は満身創痍でした(笑)オープンの部では5STARs戦に負けて本当に悔しかったのですが、ユースの試合があるのでユニフォームをネイビーに着替えた時にその悔しさを完全に消して切り替えていましたね」
選手権ではユースチームの監督として指揮を執った
力強さとスピードを合わせ持つプレースタイル
選手としても宣言通りパワーアップを果たし、日本選手権の予選からフル出場した。打撃では会場に音が響くほどの強い打球を放ち、守備ではミッドフィルダーとして先頭に立ち続けた。
選手としてのストロングポイントを以下のように語ってくれた。
「全方向に対して力強く、かつ回転を加えた変化のある打球を打てることです。あと膝の状態も良くなったので走塁でのスピードです。
野球選手の時もスピードを売りにしていましたし、100%の力を出せない時期も長かったですが、今は状態がいいのでお見せできると思います。
あと守備では複数ポジションをこなせるように今取り組んでいるところです」
力強さと共にスピードも取り戻した
宮之原はかつて甲子園で全国優勝も経験し、21年まではBCリーグでプレーしていた。
野球の世界で長く活躍してきた立場から、打撃と守備においてBaseball5とどのような違いを感じるかを訊いた。
「野球と比べて体の使い方に大きな違いはないですが、道具を使わない分ごまかしが効かないです。なので野球以上に自分の体の動きを考えたり、使いきらなかったらこの競技は上達できないと考えています。
私は野球選手の時以上に自分の動きを頭でイメージしたり、動画で見たり周りの方の動きを観察して自分と向き合う時間が増えました」
そのため野球選手時代に戻れるとしたらと想像し、このように続けた。
「逆に今野球を始めたら、当時と今でどう変わるか考えたりするんです。
例えば守備では速い打球に対して手を柔らかく使えるので、きっとグローブはめたら野球選手の時以上に捕れたんじゃないかなと。
私も野球に関しても引き続き指導の道に進むつもりですので、そこに必ずリンクしているなと感じています」
Baseball5が野球のパフォーマンスアップにつながるとも感じている
”宮之原流”のBaseball5授業とは?
また、宮之原を語る上で外せないのが普及活動。
Baseball5に対して熱い想いを抱いている男は各学校を周り、時には島を越えて競技の魅力を伝えている。
22年の開始当初からSNSを駆使しながら発信を行ってきたが、23年の後半からは授業としてBaseball5を直接伝える機会も増えていった。
小中学校や保育園といったカテゴリ問わず足を運び、未来へとつながる種を数年かけて撒き続けている。
「終わったら必ず担任や校長先生の方たちに話をして、Baseball5の良さを知ってもらえるようにしています。
ボール一つでできるという安全性もありますし、守備で打球が来る回数は野球やソフトボールより多いので、運動量を確保することができます。
さらには周りを見る力を養うことに繋がってくるので、これらは実体験とともに伝えています」
授業では実体験を交えながら継続できるよう取り組んでいる(本人提供)
授業を行う際に意識している工夫についても続けて明かしてくれた。
「子どもたち同士でポジションや作戦・打順だけではなく、試合前の練習やウォーミングアップから何するかを自分たちで考えますし、慣れてきたら審判も大人に代わってやります。子どもたちが授業をつくっている感覚で臨んでもらうんです。
自主的・意欲的にやることによって、顔つきや動きが違ってくるのがすぐ分かります。自分たちで考える力も養えるので、Baseball5は教育にとってもすごくいい教材なんです」
今も継続的に授業で全国を飛び、ジュニア世代に向けて教えを続けている。Baseball5がさらに発展していくためのポイントをこのように考えている。
「普及にはさまざまな観点・立場の人が関わり合うことが必要なのと、教育においては大人たちがキーになるのではないかと。
毎日子どもたちと接している担任の先生を始め、学校の方々に魅力を知っていただければ保護者にも伝わります。
さらには習い事の先生などにも伝わると思うので、ジュニアやユース世代への展開が一気に加速するのではないかと感じています。
これからは子どもたちを守る大人のみなさんにもBaseball5を知ってもらって、私たちが来れなくても授業が成り立つような形ができてくると一気に学校現場から広がると思います」
多くの子どもたちにBaseball5を伝えている(本人提供)
今もあふれ出る競技そしてチームへの想い
このように競技・普及の両面に情熱を注ぎ続けている宮之原。その熱は愛着とともにまだまだ高まりを見せている。
「毎日朝からずっとBaseball5とチームのことを考えているんです。Spirit Bondsに入ってくれたみんなへの想いが強くて、一人ひとりを1時間以上は語れるくらい大好きで、全員と少しでも長く活動を共にしたい想いが強いです」
チームそして同志への想いは誰よりも強く抱いている
心の底から気持ちを掻き立ててくれる存在であるBaseball5。競技が持つ可能性というものを、自然と自身の中で言語化されていた。
「観ている人は”やってみたい!”と思えるし、やった人は”また挑戦したい!”と、それぞれが同じ熱量でできる競技だと思うんです。プレーしたその先に、『今後もこの仲間と関わっていきたい』とか、今日あったことを家族で共有したりなど、同じ場を創り上げられるものだと感じています。
Baseball5を知れば知るほど、野球やソフトボールと違った楽しさを感じられると思いますし、もうひとつ独立したダイヤモンド型スポーツとして今後盛り上げるものにしてきたいです」
これからもかけがえのない仲間と共に競技の未来を創っていく
競技を始めて3年、情熱を燃やし続け濃密な時間を過ごしてきた。ただ、まだまだその灯は明るく輝いている。最後に今後の展望を語ってもらった。
「個人としては、もう一度JAPANのユニフォームをもう一度着たい気持ちが強いです。今の選手のレベルも本当に高いので、自分の長所を磨きながら技術そして人間性を高めて来年国際大会へ行けるだけの力をつけたいです。
また普及の面でも、チーム立ち上げという経験ができたので、全国各地でBaseball5が定期的にできる環境づくりを進めます。
このスポーツが楽しいと思える人たちが増えることによって、今後日本選手権は一層活性化されますし、世界大会や将来オリンピック種目へとつながる時にはみんなが知っている競技になる。そんな姿を描いています」
Baseball5のあらゆる可能性を熱量で広げる宮之原。日本における発展のカギを握る一人として今後も全力で駆け抜けていく。
(おわり)
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