
第9回執筆者:内藤 雅之 (全日本野球協会副会長・専務理事)
東京六大学野球連盟は今年で結成100周年を迎えます。1世紀もの間、ずっと同じ相手と対抗戦を続けてきたという、とても稀有なリーグ戦です。
しかも、結成2年目の1926(大正15)年に神宮球場が完成すると、米軍に接収されていた終戦直後の一時期を除いて、全試合を同球場で開催してきました。また、同じく1926年には摂政杯が下賜され、戦後は単独スポーツとして初めて天皇杯を下賜されています。とてもありがたいことです。
100周年を迎えるにあたり、神宮球場の敷地内に「東京六大学野球発祥の地」の記念碑を建立し、4月12日に除幕式を実施しました。深いご縁で結ばれた東京六大学野球連盟と神宮球場の関係は、永遠に続いていくと思っています。
この100年を振り返ると、先人たちが野球を守り、発展させていこうと奮闘されてきた歴史を確認することができます。学生野球は昭和初期に大変な人気があり、1932(昭和7)年に文部省から野球統制令が発令されました。学生野球の商業化、興業化が問題視されたためです。
だから、先人たちは戦後すぐに日本学生野球協会を設立し、自らを律することで野球統制令を廃止してもらい、自主自律の道を切り開いてきました。一連の動きの中心になったのが東京六大学出身の先輩たちです。先に産声をあげた中等野球大会(現在の高校野球)や、のちにスタートする社会人野球やプロ野球の設立・運営にも、6校出身の先輩たちが関わっています。野球殿堂入りも222人のうち、119人が東京六大学の出身者です。
私自身が運営に関わるようになって以降の約40年を振り返ると、新型コロナウイルスが蔓延した2020年が印象に残っています。プロ野球と一緒に勉強会を開き、春季リーグ戦を全国で唯一開催することができました。時期は真夏の8月になりましたが、上限3000人ながら有観客試合で実施でき、ファンの皆さまにも喜んでいただきました。
翌2021年秋季リーグ戦の開幕直前には法政大学野球部でクラスターが発生しました。同校は参加辞退も覚悟しましたが、他大学が理解を示し、日程を組み替えながら開催しました。理事会では「1校でも欠けたらリーグ戦は開催できない」「何でも協力するから一緒に頑張りましょう」という声が聞かれました。
東京六大学野球の強い結束、責任感を私は感じました。
応援団とも連携を図り、同年から外野席で活動を再開してもらいました。
野球、スポーツは相手があってこそ成り立ちます。応援してくれる人の存在も忘れてはいけません。相手に対するリスペクト(尊敬)や周囲への感謝を、何よりも大切にしなければいけないと思います。
私たちのリーグ戦では、各校がもちろん優勝を目指しますが、1校1校との対抗戦に勝ち越すという意識を強く持っています。ライバルは認め合い、切磋琢磨する仲間です。東京六大学野球100周年を機に、そんな精神をすべての野球人に再認識してもらえたら嬉しいです。
・東京六大学野球連盟結成100周年記念事業について (東京六大学野球連盟公式サイト)
・東京六大学野球連盟100周年ビデオ (YouTubeリンク)
ないとう・まさゆき
1961年、東京都出身。立教高で遊撃手として活躍し、立教大ではマネジャーを務めた。大学を卒業した1984年から日本学生野球協会、東京六大学野球連盟の運営に携わり、現在は同協会と同連盟の事務局長。全日本大学野球連盟の事務局長、全日本野球協会の副会長・専務理事も務める。
明治神宮野球場の敷地内に設置された 「東京六大学野球発祥の地」記念碑 (東京六大学野球連盟提供)
「東京六大学野球発祥の地」記念碑の除幕をする六大学の主将たち (東京六大学野球連盟提供)
記事へのコメント