Baseball5「Spirit Bonds」特集(後編) 「選手と指導者の間で深い絆が築かれた」 ユースチーム発足から3ヶ月で選手権ベスト4へ


※本記事は前後編の後編。前編を読む


オープンの部(15歳以上)で躍進を見せてきた「Spirit Bonds」。


試合の勝敗だけではなく、お互いの成長そして人生に影響を与え合う関係が築き上げられ、ここまで普及と強化に力を入れている。


その情熱と絆はユースの部(15〜18歳)にも確かに継承されていた。日本の未来を担う高校生に向けても、宮之原健ら首脳陣が全力で向き合う姿があった。


(写真 / 文:白石怜平 以降、敬称略)


「競技発展のカギを握る世代」とかねてから構想に


ユースの部が立ち上がったのは、オープンの部発足から約半年が経とうとしていた9月下旬。実はSpirit Bondsを創設した時から描いていた構想だった。


「(2026年にダカールで行われる)ユース五輪の競技に採用されていることもあって、1人でも多くのプレイヤーを輩出したいと考え模索していました。


これから日本のBaseball5が発展していくには、中学・高校生世代の発展が今後のカギを握ると感じていましたので、その力になりたい・なんとしても実現させたいと思っていました」



野球選手を引退後は小学校の教員を務めている宮之原。


Baseball5を授業で導入するなど、ユースそしてジュニア世代への体験機会を増やしてきた。教育現場に毎日いるからこそ、未来を担う世代へ伝えることの重要性を肌で感じていた。


また、ユースチームを始動させるにあたり”欠かせなかった”と感謝を述べる人物がいた。


「髙島凱哉という男なしには語れないです。私とは対面でも電話でも一番やり取りしてるBaseball5愛に満ち溢れた男です。


彼は去年まで伊豆大島で教員をしていて、私の妹も在籍しているAmbitious Oshimaでプレーしていました。彼は今転勤して都立山崎高校の先生なのですが、Spirit Bondsに縁あって入ることになり、同校のメンバー中心でチームをつくってくれました」


オープンの部では選手としてもプレーしている髙島凱哉



社会に出て「Baseball5をやっていて良かった」と思えるチームに


メンバーは選手10名が在籍し、宮之原が監督、髙島がコーチを務めている。


上述の山崎高校のメンバーが中心で構成されていることから、「Spirit Bonds YAMASAKI」というチーム名で活動がスタートした。


「校長先生を始め職員の方々の理解をいただきながら、山崎高校の体育館を活用しています。メンバーは野球部の他にも別のスポーツをしている選手もいますし、山崎高校以外からも入団してくれてカラーが異なるメンバーが集まっています」


オープンの部のように個性あふれるメンバーが揃った



2人は教師そして選手たちは高校生ということで、競技だけではなく一人ひとりの将来についても考えながら日々向き合っている。


「選手たちがどう取り組んだら心身ともに成長できるか、将来社会に出て『Baseball5をやっていて良かった』と思ってもらえるかを常に考えていますし、競技を通じて社会性や人間性を育むことについて(髙島と)2人で密に話し合っています」


多感な時期ということもあり、「選手たちそれぞれアプローチ方法が違う」と、同じことを伝えるにあたっても一人ひとり変えながらコミュニケーションをとっているという。


宮之原は仕事同様に学生たちの成長を伴走する役目を担っており、監督業についても「プレイヤーとしての熱量以上でやっています」とやりがいと情熱を感じながら取り組んでいる。


試合に出る時と劣らない熱量でユース選手たちをサポートしている



初の日本選手権「練習を超えるパフォーマンスを発揮してくれた」


「Spirit Bonds YAMASAKI」は12月の日本選手権予選に出場し、オープンの部とともに負けなし(3勝1分)で本戦への出場権を勝ち取った。


3勝の中には本戦で準優勝を成し遂げた「市立船橋5」も含まれており、全国でも上位で戦えるレベルにあることを早くも示していた。


首脳陣2人は6日後に選手として予選を控えるスケジュールだったが、まずはユースの部を勝利に導けるよう知恵と経験をフル活用した。


「これは監督・コーチ次第だと強く感じました。『どうにかしてあの子たちを輝かせたい』という想いでした。Baseball5の楽しさをユース世代たちにも知ってもらいたいし、観ている方たちに向けてもSpirit Bondsの旋風を起こしたいと臨みました」


宮之原らも指揮を執る身として責任感を強く持って臨んだ



その想いが乗り移るように選手たちはコート上で躍動し、一位通過という最高の結果を残した。指揮官としてその姿を見て、


「普段の練習を超えるパフォーマンスをみんなが発揮してくれた。高校生ってすごいなと。全員で頑張りきったのを見た時本当に感動しました」と当時の感情を思い出しながら振り返った。


ただ、この試合当日を迎えるまで順風満帆で来たわけではなかった。選手たちの力を引き出し、絆を深めるまでの過程を明かしてくれた。


「そこは技術だけじゃなくて、いかに高校生たちと顔を合わせてでいかに本気で向き合うかが大事だと思ってました。


山崎高校の教室を借りてミーティングを何度もした中で、褒めることもしましたし、違うなと思ったら本気で叱ることもしました。


その根本とはいかにその子の成長のために指導者側が本気になるかと考えていたので、自分の持つ全てを使い切りたいと思ったんです。だからこそ選手と指導者の間で深い絆が築かれて行ったのだと感じています」


ユースでも太い絆が築かれていた



そして迎えた1月の本戦では、応援団が旗や横断幕を掲げながら声援を送り、オープン部で激戦を終えた先輩たちも試合後すぐに応援側へと回った。


選手たちは多くの応援と予選での経験を力にし、この日も躍動する。初戦の「横浜隼人 Brave Heart」戦では2セット続けて取り、予選から続く引き分けを挟んだ連勝を4に伸ばした。


準決勝は市立船橋5と再戦。1セットずつ取り合い最終セットまでもつれ込むも、最後に力付き決勝進出とはならなかった。しかし、発足から約3ヶ月で全国ベスト4という堂々たる成績をマークした。


宮之原も監督として試合中何度もアドバイスを送り、そしてみんなと一緒に全力で喜んだ。


「あの横浜隼人高校に勝つことができたと思うと、選手たちの将来がすごく楽しみになりました。私自身もみんなからたくさんのことを学ばせてもらいました。


一つ課題があるとしたら『やるぞ!』などと気持ちを出せる選手がまだ少ない。


だからこそ、私や髙島そしてオープンのメンバーたちがフォローして一緒になって盛り上げられたのもありましたし、全員で掴んだものとしては十分の結果だと思います」


選手権ベスト4という堂々たる結果を残した



今年はユース代表選手の輩出、そしてジュニアチーム新設へ


そしてこの2月、ユースチームに吉報が届いた。選手権でもベスト4に導く活躍を見せた谷尾心瑚が「2025 第2回ユース Baseball5 アジアカップ」の日本代表に選出された。


また、本多悠人・青木遥の男子選手両名も日本代表候補として選考会に参加し、大きな経験を積んだ。


谷尾の選出についても自分のこと以上に喜びを見せ、「彼女は高校ではハンドボール部なんですけども、Baseball5と両立しています。野球・ソフトは未経験なので、さらに羽ばたいたら競技にとって大きな未来をつくれると思います」と世界での活躍に期待を寄せた。


3月のアジアカップで日の丸を背負う谷尾



主に日本選手権から始まったSpirit Bondsの2025年、今も普及・強化そして絆を深めるべく邁進している。


今年のテーマとして、宮之原は力強く以下のように述べた。


「理念にある『Baseball5を通じて人生を豊かにする』その環境づくりをもっと進めたい。

出会った方たち全員と『今日来てよかった』『明日からまた頑張ろう』と思える機会を一つでも多く作っていきます」


そしてインタビューの最後、チームの展望について語ってもらった。


「4月から小中学生を対象にしたジュニアチーム創設に向けて準備を進めていき、形にしていきたいと考えています。


というのも、”子どもたちの幼少期からの成長過程にBaseball5がある姿”を目指しています。このスポーツを経験してきたからこそ、”人そしてアスリートとして成長ができた”であったり、将来何をやりたいかにも繋がって自分の良さや仲間の大切さを知ることができる。


そういう人たちを育てていきたいんです。Baseball5がただ勝敗を競うものではなく、生活や人生の価値あるページになってほしい。そう願いを込めながら今もみんなが全力で取り組んでいます」



まもなく発足2年目へと入るSpirit Bonds。その絆と情熱で早くも日本を代表するチームへと駆け上がっている。


(おわり)

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