
学生野球とプロ野球が共存し、選手のプレーと観客の感動を幾度となく積み重ねてきた明治神宮野球場。2026年に竣工100年を迎えたその舞台では、今日も一試合を成立させるために、多くの人が支えている。
1995年に神宮球場へ配属され、12年から球場長を務める永渕義規さんは、自らを長い歴史の「通過点の一人」と表現する。その言葉には、先人への感謝と次世代へと継承する責任が込められていた。
本編では球場長として過ごす日々や、野球殿堂博物館で開催されている企画展を通じて、神宮の歴史を受け継ぐ意味を考える。※全2回のうち後編
(取材/文:白石怜平、写真提供:明治神宮野球場)
試合前の朝から始まる、おもてなしへの準備
球場長とはどのような役割なのか。永渕さんが担うのは、営業・施設の維持管理から試合やイベントの運営など、球場に関わる幅広い分野のマネジメントである。
広告面の拡大や観戦エリアの整備を考えつつ、人工芝や座席などの施設を維持しながら計画的に改善していく。各主催者との調整に加え、野球が行われない日のイベント誘致も仕事に含まれている。
ヨガやリアル脱出ゲーム・コンサートなど、野球以外の催しも行われる神宮球場。それぞれの利用を支える仕事がある一方で、日常の中心にあるのはやはり野球である。
その一試合を迎えるための準備は、観客が入場するよりもずっと前から始まっている。
「ビジョンを操作する人間はほぼ毎日、朝にスコアボードや機器をチェックしています。正確に表示ができるか・映像が流せるのか。照明灯もつけたり消したりして、皆さんに臨場感を味わってもらえるよう。入念に準備をしています」

球場グルメも同様。ナイターの日でも昼ごろから仕込みが始まり、来場者にオリジナルな味を提供している。試合を支える仕事は、グラウンド内外問わずそれぞれの準備が重なり合うことで、観客をおもてなしすることができる。
「目に見えない時間帯から、大勢の人が野球のために動いていることは間違いないですね」
そんな永渕さんが最もほっとするのは、プロ野球のシーズンが無事に終わるときだという。今季もスワローズのホームゲーム全試合を消化し、安堵の瞬間を迎えていた。
「今年も大きなトラブルなく終わったと。年間200万人以上のお客さんがいらっしゃるので、事故やトラブルがないことが一番ですね」
名勝負が生まれる場所を預かる責任。それは、1試合を安全に見届けられる環境を整えることでもあった。

時代の変化に応えながら伝統を受け継ぐ
100年の歴史を持つ球場でありながら、今も毎日利用される現役の施設である。長く親しまれてきた姿を大切にしながら、選手や観客が求めるニーズへと対応してきた。
「時代に応じて、選手が求めることやファンの皆さんが求めることは変わってきます。その時々の変化に対応してきたからこそ、今があると思います」
選手にとっては、プレーする環境が大切になる。フェンスの安全性を高めるためにラバーフェンスを入れたり、人工芝も、体への負担に配慮したロングパイルへと更新。
また近年の暑さへの対応として、トイレや内野の一部には空調を導入している。時代や気候など、様々な変化に順応しながら観戦そしてプレー環境を改善してきた。

34年には新たな神宮球場が現在の秩父宮ラグビー場に建つ。その計画も進む中で、永渕さんは現在の球場で行うべき整備と、次の球場で対応すべきことを考え合わせながら、運営に当たっている。
今の球場が将来役割を終えるからと言って、その管理を止めることはできない。今日訪れる選手や観客にとって、この一日はかけがえのない時間であり思い出になるからである。
その重みを、自身が携わってきた中で実感したのが新型コロナウィルスが猛威を奮っていた時期だった。無観客での開催から、入場人数を制限した試合へ。マスク着用や声出しの制限がある中で、野球を続ける日々を過ごした。
「抑制された状態で野球をやっているというイメージでした。ファンも思い切り感情を出せない。全ての入り口に検温機を設置して熱を測ってもらってもらいながらの入場でしたから。あれは苦しい思い出です」

入り口での検温など、運営にも新たな対応が求められた。そうした状況を支えたのは、現場で懸命に動くスタッフたちだった。
「スタッフも濃厚接触者となれば数日来れないですし、限られた人数の中で一生懸命頑張ってくれました。だから乗り越えられましたね」
“創建当時の外壁”が伝える、知らなかった神宮
野球殿堂博物館では、企画展「明治神宮野球場 100年」が開催されている(11月24日まで)。神宮球場での試合や出来事に関わる資料、活躍した選手たちのユニフォームや使用品などを通じて、球場の歴史に触れることができる。
永渕さんが特に見てほしい資料として挙げたのは、記録達成時のボールやバットでもなければ名将・名選手たちのユニフォームでもなかった。
「神宮球場の外壁はレンガ色なのですが、創建当時の外壁は実はクリーム色に近いものなんです。それが今野球殿堂博物館に展示されています。自分も知らなくて、工事の時に出てきて初めて分かりました。自分も当時の外壁を見たことはないので、思いを馳せるしかないのですが(笑)」

展示には大学野球やスワローズの歴史に関わる資料も並ぶ。永渕さん自身も博物館に足を運んだといい、配属した90年代にスワローズが強かった当時の出来事も思い出したという。
「野村克也監督の時も本当に強い時代で、自分が入った時はそれが当たり前のような感覚でしたし、今もですがとにかく目の前の仕事に全力投球していましたね」
資料を通じて、忘れていた記憶がよみがえる人がいる。一方で若い世代や子どもたちにとっては、自分が知る神宮よりも前の時代に初めて触れる機会となる。
その歴史が交わる瞬間もこの博物館で起きることとして期待を寄せている。
「きっと親子やお孫さんを連れて来ていただいて、当時を知ってる人たちが感じることや教えてくださることもたくさんあると思いますし、現役の学生も何かを感じ取ってほしいですよね。
普段は気づけない歴史を展示を見れば知ることができるので、そこでもう一度神宮球場に来ていただくことで、また新しい目線で見てもらえると思うので、その楽しさも感じてもらえたら嬉しいです」


先人への感謝を胸に、今日の一試合を未来へ
今年、100周年を迎えて感じたことを永渕さんに尋ねると、長い歴史を支えた人々への感謝を口にした。
「100年というのはとてつもない年月じゃないですか。その中で苦労された先人の方々に、まず感謝しなければいけないと思います。球場関係者、選手、主催者の皆様、そしてファンの方々。審判や公式記録員・報道の方々、さらには球場で飲食やグッズを販売した方々もいる。数え切れないですよね」
球場の歴史には記録に残る選手やファン、その試合を成立させてきた人々などみんなが主役。一人ひとりの想いや働きがつながって、100年という時が刻まれてきた。永渕さんは謙遜しながらこう想いを述べる。
「自分はたまたまその通過点の一人です。今は未来へと受け継いでいかなければいけない。そう使命感を持っています」

その想いとともに継承していきたいことがある。永渕さんは以下のように続けた。
「選手と観客の皆さんとの親近感や、青空や夜空の下に広がる開放感。お客さんそして選手たちそれぞれが抱く『神宮球場らしいな』と思ってくださる伝統は、失わないようにしていきたいです。
新球場ができた後でも、『昔の神宮球場にも行ったんだ』という記憶を持っていただきたいですし、今の球場を皆さんの記憶にとどめてもらい、心に焼き付けてほしいって想いがあります」
企画展に並ぶ資料は、神宮球場で繰り広げられた選手の挑戦やファンの歓喜、そして球場を支えてきた人々の汗と努力の数々である。
学生野球とプロ野球が共存し、世代を超えて感動を分かち合ってきた100年。
新球場開場を8年後に控える中、ここから一人ひとりが刻む現球場での記憶も未来へとつなぐ一球となる。
(了)
