かつて、野球の技術指導は“感覚”の領域に委ねられていた。
指導現場では「もっと腕を振れ」「体をしっかり使え」といった抽象的な言葉が飛び交い、その意味を選手自身が探りながら技術を磨いていくことが正とされてきた。
しかし現代ではその前提が大きく変わりつつある。特にプロの現場で急速に普及しつつある“データによる可視化”の潮流が、いまアマチュア野球の現場へと波及している。
その橋渡しを担っているのが、かつて東京ヤクルトスワローズでプレーした久古健太郎氏と志田宗大氏である。
元プロ野球選手の2人はチームの拠点へと自ら足を運び、データを媒介に選手や指導者と向き合っている。そこから見えてきたのは、機材を活用するのみに留まらない野球界の練習や指導における意識の変化だった。
(取材 / 文:白石怜平)
選手の持つ可能性を環境差に依存させない
両名はプロ野球球団などにデータ分析・チーム強化システムを導入する「ライブリッツ株式会社」に在籍し、アマチュアチームを訪問しデータ計測を行う「FastBall(ファストボール)」のサービスを担当している。
久古氏は2011年にヤクルトに入団し、セ・リーグ新人記録となる22試合連続無失点をマークするなどリリーフ左腕として活躍。15年のリーグ優勝にも貢献した。
志田氏は02年にヤクルトに入団し、9年間プレー。引退翌年の11年からヤクルトのスコアラーを務め、16年・17年は侍ジャパンのスコアラーも担当。17年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でもチームの頭脳として選手たちを支えた。
さらに巨人・中日と渡り歩きデータ分析の最前線を担うなど、2人は現場経験と分析の両輪を持つ存在として今も野球界を舞台に活躍している。

このサービスは久古氏がある想いを持ちスタートさせた。背景にはデータ計測における環境格差への問題意識があった。
「プロ野球をはじめとする一部のトップチームでは、データ活用によるパフォーマンス向上が目覚ましい一方、アマチュア球界の多くは取り残されているのが現状です。
高額な測定機器の導入費用や、データを読み解く専門人材の不足が大きな壁となっています。
“環境の差で選手の可能性が閉ざされてはいけない”という想いから、経済的な負担を極力抑え、どのチームでも手軽にデータ計測・分析を行える場をつくりたいと考えました」

数値とともに方向性もアドバイスする
2人は中学生の軟式野球部や硬式クラブチーム(ボーイズ、シニア、ポニーなど)から、高校・大学・社会人さらには女子野球まで、あらゆるアマチュアチームへ直接足を運び、選手のデータ計測を行っている。
選手一人ひとりにフィードバックされる。データを正しく理解することで、選手自身が次の練習への明確な目標や指標を持てるようになることが目的である。
打者は志田氏・投手は久古氏が担当。打撃においては「最も大事なのは打球速度」と説明し、その意味と指標の目安を共有しスタートする。
打者の後ろでは、志田氏が鋭い視線で全員のスイングを見ながらタブレットに表示される数値に目を光らせた。打球速度やバットの進入角度などを見ながら、選手たちに言葉をかけている。
「プロ野球選手もメジャーリーガーも、基本的にはバットが下から入ってくるんだけど、平均すると水平から10°くらい上を向く。〇〇君の最初のスイングは20°くらいだったから、少し角度がつきすぎていた。
だから途中で『少し上を見て打ってごらん』と伝えたら、15°まで改善されたのね。右打者の場合、意識しないと右肩が下がってアッパーになりすぎてしまうので、スイングの動きとして上から入ってレベルになり、最終的にアッパーで接触するから、この出だしの動きを意識してみよう」

志田氏はただ「スイングスピードを上げよう」と数字の目標を課すだけでなく、それを実現するための身体の使い方や方向性も具体的に提示。
「数値を引き上げるためには、下半身を連動させて回す動きが必要。身体がしっかり回ることで、結果としてスイングスピードが上がるから、ぜひ次の練習から意識してみてほしい」
数値という客観的な事実があるからこそ、技術的なアドバイスが選手たちの腑に落ちていくようだった。
そして投手では久古氏がマウンド後方から投球を見守る。投球フォームとボールの軌道を確認しながら、計測データを元に助言を送った。その指導方針にも明確な意図が込められていた。
「選手の習熟度や年齢に合わせて、伝える情報の“解像度”を意識的に変えています。例えば、まだ基礎技術をこれから固めていくジュニア期の選手に対しては、アームアングル(腕の角度)や回転軸の細かな数値をそのまま伝えても、かえって混乱を招いてしまいます。
そうした選手には、まずは球速や回転数といった直感的に理解しやすい指標を提示して同年代の平均値と比較しながら、『まずはここを目指してみよう』という具体的な目標設定を促すようにしています」

これまで“なんとなく”自分自身で感じていた感覚が、数字によって裏付けられる。感覚が可視化され、具体的な言葉として選手の中に落とし込まれていくプロセスの中に、データ計測の本質的な価値が存在している。
指導者は成長に寄り添う“良き伴走者”に
データ計測がもたらす変化は、選手たちだけに留まらない。チームを率いる指導者側にとっても、自らのアプローチを省みる大きなきっかけになっている。
計測の合間、志田氏はチームの指導者陣と長い時間意見を交わしていた。その会話の一部を明かしてくれた。
「現代における指導方法の変化について、現場の方々とも深く話し合っています。今は厳しく厳格にするだけでもダメですし、逆に優しすぎても選手は育たない。
特に中学生という多感な時期は、一人ひとりの性格や習熟度に合わせた指導が必要だと、現場の監督やコーチの皆さんも強く実感されています。
『指導者自身も常に知識をアップデートしていかなければいけないですよね』というお話をしました」

各チームを訪問する中で、指導者からも指導の仕方に関する相談を受ける機会がとても多いという。志田氏はこれまでの経験を踏まえ、指導者がこれから現場で向き合うべき課題について以下のような見解を述べた。
「一つは、最新の知見を取り入れて自らを“アップデート”し続けること。そしてもう一つは、自分たちの指導の軸となる“信念”を持つことだと思います。
一見すると矛盾するように思えるかもしれませんが、確固たる軸を持ちながら、新しい手法やデータを柔軟に取り入れていく姿勢が求められているのではないでしょうか。
指導者は“絶対的な存在”ではなく、選手の成長に寄り添う“良き伴走者”であるべきだと考えています」
地域間による格差の是正と自発的に育つサイクルの構築へ
野球界は精神論や感覚だけに頼る時代から、データと調和しながら個々の能力を伸ばす時代へと転換している真っ只中である。
だがそれは感覚の否定ではなく、自身の感覚を言語化することで高い再現性を持たせるための手段としてデータが存在する。
現在も精力的に各カテゴリのチームを巡る2人に、今後の展望を聞いた。
「今後は対応エリアを拡大し、より多くの選手に環境を届けたいです。地方ほど専門的な計測機器や分析に触れる機会が不足しているのが実情です。地理的な制約で選手の可能性が狭まらないよう、支援の輪を全国へ広げていきます」(久古氏)
「データは現在の立ち位置を知る『物差し』です。数字で示すことでチーム内に共通の基準が生まれ、次の目標が明確になる。選手が自発的に成長できるサイクルを各地で構築したい。
一人でも多くの選手たちに『野球って本当に素晴らしいスポーツだ』と感じてもらえるよう、これからも現場のサポートを続けていきたいです」(志田氏)
アマチュア球界の裾野から新たな風を吹き込んでいる2人。最後に久古氏は、事業を通じて実現したい野球界の未来について、強い志を口にした。
「一言で表すならば『データ活用の民主化』です。環境に恵まれた一部の強豪だけでなく、すべての選手がデータを武器にできる世界を目指しています。
また、これまで埋もれていた原石を数値で可視化することにも注力したい。見過ごされがちだった才能を客観的な数字で証明し、将来的にはスカウティングなどにも活用してもらうことで、誰もが夢を掴めるチャンスがある世界を創りたいです」

ここでは技術導入や数字のチェックにとどまらない、選手と指導者の「学び方」が変わる入口が示されていた。野球界の定説がデータという共通言語によって書き換わっていくために、2人は確かな歩みを進めている。
(了)

