競技の常識に縛られてはいないか
2026年5月。新年度になり新メンバーが加わってのバタバタも一段落し、ゴールデンウィークが明け、グラウンドでの動きもいよいよ本格的になってくる時期ではないだろうか。
コーチ・指導者のみなさんにとっても、新たに加わったメンバーたちの個性が見え始め、「このチームをいかに導くべきか」「自分自身のアプローチは今の時代に則しているのだろうか」と、一歩立ち止まって思案する時期にさしかかっていることだろう。これは、何も野球やスポーツの現場に限らず、学校教育、ビジネスシーンにおいても同様のことがいえるかもしれない。
日本のスポーツ界、とくに野球界においては、長年にわたり「自分たちの常識は、その競技の中でしか学べない」という固定観念が根強く存在している。実際、スポーツにおける多くの指導者講習会や指導者養成制度が、競技ごとに完全に縦割り化されている。野球の指導者は野球の、サッカーの指導者はサッカーのセオリーや技術論について学び、そのスポーツ特有の狭いコミュニティの中だけで通用する「独自の常識」をインプットすることで、自らの指導を再生産しがちである。
しかし、現代のスポーツコーチングに求められる本質的な課題は、もはや競技の枠組みの中にだけ収まるものではない。不適切指導の根絶やハラスメント防止をはじめとする選手たちのセーフガーディングの概念や、「自分で考え、判断し、行動できる」ように非認知能力を向上する主体的な選手育成の必要性が叫ばれる現代において求められるのは、単なる技術やスキルの正解を上から教え込む方法論ではない。
本当に必要となるのは、組織の土台となり、プレーヤー個々人の成長を促すための「スポーツマンシップ(尊重・勇気・覚悟)」のOSをいかにアップデートするかという点に尽きるのである。
600人の仲間が証明する「越境の価値」
私たち日本スポーツマンシップ協会が2020年7月に第1期を開講した「JSA Sportsmanship Coach Academy(スポーツマンシップコーチアカデミー)」は、まさにその「競技縦割り」の壁を打ち破るための挑戦でもあった。
早いもので開講から丸6年を迎えようとしているいま、このアカデミーを受講した人数は590人を数え、資格を取得した「スポーツマンシップコーチ」としてスポーツマンシップを語ることを命とする語り部は、600人に迫ろうとしている。
600人という数字の裏側にある最も大きな魅力、そして一般的な指導者講習会との決定的な違いは、その圧倒的な「多様性(Diversity)」にあると考えている。
本アカデミーの受講生は、甲子園をめざす高校野球の監督、学童野球のコーチ、元プロ野球選手なども含めた野球界の人材はもとより、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、アメリカンフットボール、テニス、陸上競技、水泳、フェンシング、柔道、サーフィン……などなど、実にさまざまなスポーツの関係者が並ぶ。そしてそのレベルも、トップカテゴリーからアマチュア、グラスルーツまで多様である。
立場に関しても、コーチ・指導者はもちろんのこと、オリンピックメダリストやプロアスリートをはじめとするプレーヤーにとどまらず、マネジャー、トレーナー、あるいは、学校教員、行政職員、保護者、学生、ファン、さらには「部下の育成や組織開発、DE&I(多様性・公平性・包摂性)の観点からスポーツマンシップをビジネスに取り入れたい」と考える企業経営者やビジネスパーソンまで多士済々が居並ぶ。彼らが、ひとつのオンライン空間に集い、肩書を外した対等な立場で尊重し合いながら議論を交わすことになる。
野球の現場で「何度言っても選手が自分で考えず指示待ちになってしまう」と悩む指導者が、ビジネスパーソンから「組織における心理的安全性を高めるためのアプローチ」を学び、サッカー指導者が実践する「あえて答えを与えずに選手自身の議論を促すコーチング」に衝撃を受ける。あるいは、企業マネージャーが、ジュニア世代のアスリートタレント発掘現場における「個の引き出し方」を学び、自社のマネジメントに応用するといったこともある。
このような競技を越えた「越境の学び」こそが、自身の指導を客観視し、古い経験論や「伝統的常識」から脱却するための最大の特効薬となりうるのだろう。
「縦割り」から「フラットな尊重関係」へ
そのようななかで、2012年、大谷翔平選手が北海道日本ハムファイターズに入団する大きな契機となったと言われる「大谷翔平君 夢への道しるべ 〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜」を作成したとして知られる北海道日本ハムファイターズ・スカウト部長の大渕隆氏、そして、慶應義塾幼稚舎教諭で、慶應義塾高校野球部を監督として日本一に導いた森林貴彦氏をはじめ、野球界から受講してくださる方々の数は非常に多い。
私どもの集計によれば、590人のうち実に282人がなんらかの形で野球に携わっているというデータもあるように、野球界においてスポーツマンシップ教育の必要性を実感している人の数は増え続けているともいえる。
コーチ・指導者という立場は、往々にして孤独である。チーム内では絶対的な存在として振る舞うことを求められやすく、他チームのコーチ・指導者とはライバル関係にあるがゆえに、本音で自らの「至らなさ」や「コーチングに関する悩み」を相談できる場は極めて少ないともいえる。
結果として、自分自身の過去の経験則(認知能力の偏り)に頼るしかなくなり、知らず知らずのうちに独善的なコーチングに陥ってしまう危険性をはらんでいるのである。
スポーツマンシップコーチアカデミーが提供しているのは、単なる知識のインプットだけではない。同期の仲間たちと語り合う時間をふんだんに設けることで、自らの思考を整理しながらアウトプットすることを重視している。
その結果、競技の垣根を越え、プレーヤー・若者たちの未来を大切に考え、「スポーツマンシップ」という概念に基づく共通言語で腹を割って語り合えるコミュニティが生まれる。
同じ志をもつ仲間との「フラットな尊重関係」が担保されたこの環境は大きな財産となるはずだ。ここで得られる横(同期の仲間)・縦(期を超えた仲間)のつながりは、受講を終えたみなさんが何か壁にぶつかったときに立ち戻ることができる「レジリエンス(立ち直る力)」の拠点として機能することにも期待している。
もしいまあなたが、指導のあり方に迷い、あるいは、チームの空気をもっとよくしたいと願うならば、一度「野球界の常識」の外に出てみる勇気ももってほしい。異なる競技の鏡に自分を映し出したとき、「されどスポーツ」として謙虚に向き合い、自ら進むべきゴール・目的地と、伴走者としての新たな覚悟が必ず見えてくるはずだ。
スポーツマンシップ・デー2026
拙著『スポーツマンシップバイブル』も6度目の重版が決まった。スポーツマンシップを活用した「共育」に対する注目は、いまも広がり続けているといえる。
そして、全国に広がるスポーツマンシップの輪をさらに大きく、力強いうねりへと変えるためのイベントが今年も開催される。それが、例年6月ないし7月に開催している『スポーツマンシップ・デー2026』である。
2023年は川淵三郎氏(日本トップリーグ連携機構 代表理事会長)、小平奈緒氏(平昌2018冬季オリンピック スピードスケート女子500m 金メダリスト)、2024年は栗山英樹氏(WBC2023 侍ジャパン監督)、そして昨年2025年は森保一氏(サッカー日本代表監督)をスペシャルゲストにお招きして実施してきた。
そして、今年はスペシャルゲストとして、日本オリンピック委員会(JOC)会長の橋本聖子氏にご登壇いただくことが決まった。レジェンドと呼ぶにふさわしい実績を重ねてきたオリンピアンであり、政治家として、また、現在はJOCの会長として日本のトップスポーツシーンの舵取りを担うリーダーでもある橋本氏。
「人間力なくして競技力なし」とつねに訴える彼女とともに、これからの日本におけるスポーツの社会的価値、そして指導者やファン、社会全体が持つべき「リスペクトの精神」について深く掘り下げる、これ以上ない貴重な機会となるはずだ。
また、このイベントのなかでは、日本スポーツマンシップ大賞2026の発表および表彰式の実施、そして、これまでに資格をとってくださったスポーツマンシップコーチによる事例報告なども予定している。
アカデミーの門を叩き、スポーツマンシップの真髄を学んだスポーツマンシップコーチのみなさんにとっても、この7月のイベントが、自分たちの学びが社会や日本のスポーツ界全体とどのようにつながっているかを実感する最高の答え合わせの場になることを願うとともに、これを機にあらためてスポーツマンシップの概念について学び、活用していくことの大切さを感じてくださる仲間・同志が増えるきっかけになることも期待している。
スポーツにおいて全力で「勝ち(Win)」や「成長」という結果を求める「欲」は不可欠である。しかし同時に一方で、そのプロセスで生じる困難も乗り越え、上達や成長といった人生の「価値(Value)」を手にすることができるように自律を図る「徳」も不可欠である。これらのバランスを整え「二兎を追い」「ダブルゴールをめざす」ように導いていくことができるコーチを育めるように、私たちは学びの場を開き続けたいと考えている。
「彼らのために、私は正しいことを教えている」というコーチ・指導者の傲慢さが、時に子どもたちの可能性を奪うことになる。「自らもまた、彼らとともにスポーツマンシップを学び、成長している」という「共育」の視点を手に入れたとき、あなたのチームは、そしてあなた自身のコーチとしての人生が、劇的に変わり始めるはずだ。
600人に迫る仲間たちとともに。古い地図を捨てて、新しいスポーツの未来を一緒に創り出そうと挑戦する気持ちをもったみなさんとの出逢いを愉しみにしている。
▼JSA Sportsmanship Coach Academy(スポーツマンシップコーチアカデミー)
詳細は以下をご確認ください。

中村聡宏(なかむら・あきひろ)
一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長
立教大学スポーツウエルネス学部 准教授
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。2024年桐生市スポーツマンシップ大使に就任。


