【スポーツマンシップを考える】よりよき未来を創る共育力

春はスポーツマンシップを学ぶ季節

 2026年4月。今年も桜の訪れとともに、新年度がスタートした。

私が所属する立教大学スポーツウエルネス学部にも230人の1年生が入学してきたように、新入生、新社会人が新生活を始める時であり、日本中のグラウンドに新しい顔ぶれが揃う季節でもある。

 野球界もそれぞれのカテゴリーで新しいシーズンが開幕し、プロ野球のペナントレースでも連日熱戦が繰り広げられている。先月のコラムでも触れたように、私たちはWBC2026での激闘と敗戦、そしてSNS上での誹謗中傷という「光」と「影」を同時に目撃した。そしていま、あらためて強い使命感を携えての新シーズンを迎えることになる。

 私自身、この3月・4月は全国各地に足を運び、実に多様な場でスポーツマンシップを語る機会に恵まれた。独立リーグ「北海道フロンティアリーグ」のプレーヤーやスタッフに向けたコンプライアンス研修をはじめ、大分県「チーム大分ジュニアアスリート発掘事業」第10期生開講式、サッカークラブ「鎌倉インターナショナルFC」ジュニアユース、東京都軟式野球連盟公認学童コーチ養成講習会、弘前学院聖愛中学高等学校野球部4団体「聖愛スポーツカンパニー」合同講演会、そして選手の未来を最優先に掲げる「Players’ future-first(PFF)リーグ」における講習会などである。

 また、スポーツマンシップ大使を務める桐生市では、地元で創業98周年を迎えた「星野管工株式会社」での創業記念日における講演会や、新里社会体育館改修工事竣工式イベントでのスポーツマンシップ・ミニスピーチを担当した。

そのほか、サッカーJSLの「クリアソン新宿」主催によるDE&I(Diversity=多様性・Equity=公平性・Inclusion=包摂性)企業セミナーでは、ビジネスパーソンに向けて「スポーツの現場に学ぶ、一人の「輝き」がチームを勝たせる組織開発術 ~個を活かし、誰もが「居場所」を見つけられるチームの作り方~」というテーマでパネルディスカッションに登壇し、スポーツマンシップについて語る機会をいただいた。

 競技も世代も立場も異なる方々と向き合うなかで、あらためて痛感したことがある。それは、現代社会が抱えるガバナンスの欠如や不祥事、あるいは「人」に起因する諸問題の解決策はすべて、スポーツマンに求められる3つのキモチ「尊重・勇気・覚悟」の中に集約されている、ということである。

よりよきコーチングに向けて

 コンプライアンス(法令遵守)と聞くと、「やらされるもの」「縛られるもの」、あるいは、「これをするな」「あれをやってはいけない」という制限のなかで息苦しさを覚える人も多いかもしれない。

しかし、スポーツマンシップの視点に立てば、その景色は変わる。

スポーツにおけるルールは、ゲーム性を担保し、安全に愉しむための共通の約束事である 。ルールを守ることは単なる義務ではなく、自分たちが愛する野球というゲームを最高に愉しむための「前提条件」を維持する行為にほかならない 。

もし誰かが不正を働き、暴力やハラスメントが蔓延すれば、そのゲームはもはや「遊び」や「愉しみ」ではなくなり、スポーツとしての本質的価値を失ってしまう。

 コンプライアンスとは、自分以外のプレーヤー、審判、そして競技そのものに対する「最大限の尊重」の具体的表現である。WBCで特定の選手に向けられた誹謗中傷がなぜいけないのか。

それは一人の人間としての尊厳を傷つけるだけでなく、野球を愉しもうとするすべての人の環境を破壊する行為だからである。新チームを始動させるコーチ・指導者のみなさんには、ルールをただ形式的に「押しつける」のではなく、その本質にある「尊重(Respect)」の価値を伝えてほしいと願う 。

 クリアソン新宿のセミナーで議論された中心テーマは、組織における「心理的安全性」であった。こうしたDE&Iの重要性も、根元の課題はスポーツマンシップと共通している。

異なる背景を持つ者同士が、互いの存在意義をフラットな立場で尊重し合うことで組織内の心理的安全性が担保され、組織自身の「レジリエンス(立ち直る力)」を獲得する。

一人の絶対的なリーダーに従うだけの「体育会系」的な従順さを求める組織は、不測の事態に陥った際に脆い。しかし、全員が「当事者意識」を持って挑むチームや、その当事者意識を発揮しやすいという意味で心理的安全性が保たれている組織は、逆境のなかでも強くしなやかに機能するのである 。

 弘前学院聖愛での合同講演会は、中学・高校・大学という年代の垣根、そして、男女という性別の垣根を超えた学びの場であった。

そして、プレーヤーのみなさんが、野球を「一生の愉しみ」にできるかどうかは、彼らが野球を通して最も大切にするものが「技術の正解」なのか、それとも「スポーツマンシップという原理原則」なのかにかかっていると実感した。技術は後からいかようにも伸びるが、最初に「勝つためなら何をしてもよく、負ければ何を言われても仕方ない」といった歪んだ野球観を植えつけられてしまうと、その修正には多大な時間を要することになる。

 また、選手の未来を第一に掲げる「PFFリーグ」の取り組みは、スポーツの教育的価値の本質を突いている。目先の勝利を追求するあまり子どもの将来をつぶしてしまう「勝利至上主義」は、今もなお日本野球界の課題である。プレーヤー一人ひとりの個性や可能性を認め、自ら考え、判断し、挑戦できる環境を整えることこそが「尊重」の精神そのものなのである。

コーチに求められる共育的思考

 あらためて、コーチ・指導者自身が「学ぶことをやめてはいけない」ということを実感する。

 サッカーのフランス代表監督を務めたロジェ・ルメール氏は、「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」と訴えた。スポーツマンシップは、プレーヤーだけに強いるものではない。コーチが審判を口汚くののしったり、プレーヤーの失敗に対して感情的に怒鳴ったりすれば、どれほど立派な言葉もプレーヤーたちには伝わらない。

 以前のコラムでもお伝えした通り、コーチの語源は「目的地まで送り届ける馬車」である。

目的地を決める主役はあくまでプレーヤーであり、コーチはその伴走者であるべきだ。コーチ自身が古い経験論や伝統的な常識だけに頼っていては、彼らが望む未来へと送り届けることはできないであろう。 

 プレーヤーたちの未来のために。これはどんなコーチもが考える感覚であり、子どもたちの未来を考えていない指導者はいないだろう。

 しかしながら、「彼らのために、私は正しいことを教えている」という傲慢さが、子どもたちのあるべき未来を失わせてしまう可能性もある。彼らを思えばこそ、「自らもまた、彼らとともにスポーツマンシップを学び、成長している」という「共育」的思考を持つことが重要である。

指導者が自らの至らなさを認め、学び続け、アップデートし続け、そしてその背中をプレーヤーたちに見せながら「ともに成長する」意識をもつことこそ、プレーヤーに宿る「誠実さ」を育むために最も有効な「共育」となるはずだ。

 そしてぜひ、スーパースターたちの技術的なすごさだけでなく、彼らが見せた「姿勢」について伝えてほしい。敗戦後に相手をたたえた姿。仲間を誹謗中傷から守った言葉。それらが、野球というゲームを真に愉しむためのであることを、彼らの心に深く刻んでいただきたいものである。

 全国各地で広がりつつあるスポーツマンシップの輪を希望の光として、私たちは再びグラウンドに立とう。勝ち(Win)という結果のみを追うのではなく、そのプロセスにおいて、いかに「よき人間(Good Fellow)」であるかを問い続ける価値(Value)。

この「二兎を追う」覚悟が、今後の野球界をより豊かにし、若きプレーヤーたちの未来を輝かしいものにすると信じている。

新しいメンバーとともに、最高の「Good Game」を創り上げる挑戦を始めよう。

中村聡宏(なかむら・あきひろ)

一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長

立教大学スポーツウエルネス学部 准教授

1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。2024年桐生市スポーツマンシップ大使に就任。

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