
日本の社会人野球チームの休部や廃部が続く中、行政や地元企業・市民が一体となって70年以上運営を続ける「全(オール)足利クラブ」。
現在では選手の雇用を市役所や地元企業が担い、足利市教育委員会スポーツ戦略課に後援会事務局を置くなど、地域全体でクラブを支える仕組みが確立されている。
しかし、70年にわたる歴史は決して順風満帆だったわけではない。現在では全足利クラブの強みとなっている「地域で選手を雇用する仕組み」も、チーム存続に関わる危機を乗り越える中で生まれたものだった。
その歴史をたどると、社会人野球を次の時代へ残していくためのさらなるヒントが見えてくる。
(取材 / 文:白石怜平、写真は全てクラブ提供)
チーム最大の危機から築かれた現在の運営体制
全足利クラブはJABA加盟後約20年が経過して以降は、主に足利市役所と外郭団体である足利市みどりと文化・スポーツ財団(以降、財団)の職員で構成されていた。
「市役所に選手を集め、企業チームのような環境をつくってはどうか」という発想のもと数年でチーム強化にも成功した。
1976年の第1回クラブ野球選手権に初出場し準優勝したことを皮切りに、78年には念願の都市対抗野球に初出場を果たす。
そして82年にクラブ野球選手権で初優勝を果たすと、85年から87年にかけて同選手権で3連覇を達成するなど黄金期を築いた。しかし、今から25年ほど前に大きな転換期が訪れた。
行政の採用方針が時代とともに変わり、市役所と財団だけで選手の雇用を維持していくことが難しくなっていった。チームを維持するには、民間企業に選手の受け皿を広げていく以外に道はなかった。
現在でこそ十数社に選手が分散して勤務しているものの、当時は受け入れ先となる企業もごく限られていた。小倉部長は過渡期の真っ只中だったこの当時監督を務めており、「ほぼゼロからのスタートでした」と振り返る。

雇用体制を切り替えていく過渡期には当然ながらチームの成績も振るわず、小倉にとっては監督として苦しい時期でもあった。
それとともに、当時のチームの大先輩であった部長・副部長と一緒に選手を雇ってくれる企業を一社ずつ、地道に開拓していったのだ。
一つの組織に選手をより集約する体制から、地域の企業に少しずつ支えてもらう体制へ。それが現在の全足利クラブの土台となっている。
「地元を回って雇っていただける企業を見つけながらやっていましたし、今のような落ち着いた状態になるまでには、10年くらいかかったと思います」
栗原さんも「いいなと思う選手がいれば、雇用面も考えてどういった企業がマッチするかを模索しながら後援会としてもお願いをしている」と語るように、行政とチームが二人三脚で企業とのパイプを広げてきた。
小倉部長は改めて当時を思い起こしながら、力強くこう述べた。
「なかなか結果が出ない、非常に厳しい時代でもありました。ただ、そこで自分はしっかりチームを守ってきたという自負があります」

野球人口減少で高まる「選ばれるチーム」の重要性
一つの危機を乗り越え、現在の運営体制へたどり着いた全足利クラブだが、今度は社会人のみならず野球界全体が大きな課題に直面している。それが、少子化に伴う野球人口の減少である。
足利市も例外ではなく、市立中学校の野球部は減少し、市内の県立高校でも連合チームとして大会へ出場するケースが見られるようになったという。
その一方で高校や大学などを卒業した後の選択肢はプロ野球、企業チーム、クラブチームに加えて、独立リーグ等も加わり多様化した。小倉部長も、その変化を毎年の選手獲得で実感していると語る。
「来シーズンに向けて目ぼしい選手へ声をかけようとしても、いい選手はすでに進路が決まっていることがありますし、極端な話をすると、一年前には決まっているケースもありました」
限られた選手を多くのチームが獲得を求める中、いかにクラブチームとしての魅力を発信できるかが今後の鍵になるという。
栗原さんはその核心を、「アマチュアとプロの狭間で、思い切り好きな野球をやれる場所」だと述べた。
全足利クラブでは、前編で紹介した練習環境や雇用面のサポートがあり、これらが「全足利クラブで野球がしたい」と最初に感じられる大きな要因となっている。
「このチームなら、働きながら本気で野球を続けられる」
進路を探す学生選手たちにそう感じてもらえる環境をつくることが、今後社会人野球やクラブチームが存続していくための一つの道標であることを示していた。

社会人野球をどう残していくか、経験者の提言
企業チームは会社の経営状況や時代の移り変わりによる方針転換によって、野球部の存続が左右されることは避けられない。
ただ、クラブチームへと転換することでチームが存続するというケースもある。
では、企業単独でチームを維持できなくなった時、クラブチームという形でその歴史を残すことはできるのか。全足利クラブの70年以上にわたる経験から、栗原さんが重要性をこのように説いた。
「仮に企業チームからクラブ化させてでもチームを存続させたいとなった時、しっかりとした後援組織体制を維持できるのかがポイントになるのではないでしょうか。
選手たちを集めて勢いでクラブを立ち上げたとしても、言い方悪いかもしれませんが、寄せ集めとなってしまうと『地域が応援したいと思ってもらえるチーム』であり続けるのは難しいと思います」

全足利クラブでは行政が後援会を担うことで、活動資金の管理やグラウンドの使用といった環境面が整備され、それが市民や企業との信頼構築の一助となっている。
こうした組織体制や練習環境に加えて、選手の実力や生活。そのすべてが噛み合わなければ、ある程度以上のチーム力を維持することはできない。
環境面においても、企業チームとして使用していたグラウンドを継続して活用できるかどうかも運営を大きく左右すると、栗原さんはこう見解を述べた。
「さまざまなステークホルダーが重なり合わないとチームは維持できませんし、どれか一つ欠けても厳しくなると思います。
ひとつの企業からの膨大な資金を使っていなくても維持できているチームもありますから、そういうところを参考にするのも一つヒントになると思います」
先人たちが築いた全足利クラブを継承する
1955年の創部から72年目を迎えている全足利クラブ。この先も足利の地に根を張って継承していくために、どのようなチームでありたいか、ビジョンをそれぞれに聞いた。
まず、後援会を預かる立場から栗原は強化と運営の両面で語った。
「『全足利で野球をやりたい』『全足利のユニフォームを着たい』と、少年野球の子どもたちに思ってもらえる存在であり続けたいですし、都市対抗野球への出場や、クラブ選手権制覇を目指せるチーム力を維持したいです。
今後もしっかりと地域と連携をさせていただきながら、チームが維持できるよう、我々は後援会として環境の整備や活動資金の確保も行っていきます。
また私の後任が来た時に速やかにバトンタッチできるようにし、 その後もOB の一人として末永くバックアップしていきたいなと思っております。」
小倉部長も、70年という歴史を築いた先人たちへの思いを口にした。
「今まで継続できてきたのは、先人たち・先輩たちの熱い想いがあってこそだと思っています。私たちもしっかり今の時代を引き継いで、その後へ続けていけるようなチームづくりをしていきたいです」

社会人野球を取り巻く環境は、これからも変化していく可能性がある。だからこそ、一つの形を守り続けることだけが“伝統”ではない。
全足利クラブはその時々に訪れる危機に順応し、変化を力に変えてきた。足利で育みながら守られてきた社会人野球の灯は、これからの日本の社会人野球を考える上でも、一つの道標となる。
(了)
