社会人野球をどう次代へ残すか 全足利クラブが70年かけて築いた地域共生の形

企業チームが休部・廃部を決断するケースもある昨今、日本の社会人野球は大きな転換期を迎えている。企業スポーツを取り巻く環境が変化する中、長い歴史を持つチームであっても、その存続は決して安泰なものではない。

社会人野球を次代へ残していくためには、どのような形があるのか。その問いを考える上で一つの道標となるチームがある。

それが栃木県足利市を拠点に活動するクラブチーム「全(オール)足利クラブ」。1955年に結成され、翌56年の日本野球連盟(JABA)加盟から70年以上続く地域密着型の古豪クラブチームである。

地元企業、市民、行政が一体となって支え続けてきたこの歴史は、これからの社会人野球のあり方を考える上で貴重なモデルケースにも挙げられる。

現在、全足利クラブの部長を務める小倉正文氏(元監督)とチームの後援会事務局を担う足利市教育委員会スポーツ戦略課長の栗原祐幸氏(元監督)を取材すると、そこには企業チームとも一般的なクラブチームとも異なる、地域に根差した社会人野球の姿があった。

(取材 / 文:白石怜平、写真は全てクラブ提供)

行政とも一体になったチーム運営の仕組み

全足利クラブは55年に市内の野球愛好者を中心に結成され、1978年と2014年に北関東第1代表として都市対抗野球大会に出場。

全日本クラブ野球選手権大会でも歴代最多となる11度の優勝を誇る、日本を代表するクラブチームの一つである。

組織や運営体制について訊ねると、小倉は市内企業や市民から金銭面と活動面の双方で支援を受け運営していると説明した。

全足利クラブの運営において最も大きな特徴は、行政との結束が固い点にある。運営資金を管理する後援会事務局を担うのは、足利市の教育委員会スポーツ戦略課である。

シーズンオフに行われる全足利クラブ・同後援会納会の様子

チームが成熟して以降、後援会長には市長や県議会議員などが就いており、30年ほど前からは現在の足利野球野球協会会長で、栃木県議会議員の木村好文氏が務める。

また後援会理事としては選手を雇用してきた企業の代表者をはじめ、チームOBや選手の親、さらには足利市議会議員などが名を連ね、地域一体でバックアップする体制が築かれている。

栗原さんは「まさにチーム名のとおりオール足利体制で支えていただいている」と語る。ただ栗原さんが運営の仕組みを説明する中で、強調したのは選手の生活面であった。

「一番は“雇用”なんですね。市役所に勤務する選手もいますし、地元の企業さんで社員としてしっかり働きながら、終業後の自分の時間に野球も一生懸命やる。それが大前提になっています」

試合中の選手たちの様子

企業チームのように広告宣伝や社員の意気高揚等を掲げ、グル―プ企業も含めて一社がすべての選手・スタッフを雇用するなど、その活動費まで負担するのではなく、市役所や地域企業が選手を分散して受け入れることで、生活基盤そのものを支えている。

そして遠征費や大会参加費といった運営費については、企業や市民らから寄せられた支援金を後援会が管理し、チーム側と相談しながら適切に支出を行っている。

このような複数の企業や市民が支援を行う仕組みが、長年にわたり足利の社会人野球の土台を支えてきた。

結成から20年かけて育まれた、今に至る土壌

では、なぜ足利ではこれほど長く行政とクラブの関係が続いてきたのか。

歴史をたどると、その原型は結成から初の都市対抗野球への初出場を果たす間の約20年かけて醸成されていた。

1956年にJABAへ登録した当初は、工員や教員・市職員など、さまざまな職業の選手たちが仕事を終えた後に集まって練習するチームだったという。

しかし、それでは強化面で限界を感じたメンバーは、数年活動を続けるうちに「市役所に所属選手を集め、企業チームのような環境をつくってはどうか」という発想が生まれた。

歴代のチーム幹部や指導者たちが少しずつ選手を集め強化し、その取り組みが実を結んだのが78年。創部から20年以上を経て、全足利クラブは初めて都市対抗野球大会への出場を果たした。

小倉部長は、クラブの歴史が脈々と続く理由についてこのように語る。

「初めて都市対抗(当時は後楽園球場)に出た時は、スタンドが全足利の応援で染まったと。その名残が今も続いているように感じています」

チームはゴミ拾いなどの地域活動に積極的に参加するほか、子どもたちへ野球教室も開催している。参加した子どもたちは「いずれこのチームでプレーしたい」と憧れを抱くようになるなど、より地域に密着した存在となっている。

これらの積み重ねが市民の中に“自分たちの街のチーム”という意識が根付き、更なる支援文化がつくられていった。

応援バスが44台出た2回目の都市対抗野球大会の1塁側スタンドの様子

「全足利でプレーしたい」選手の思いが勝る

序盤に選手の雇用を重要項目に挙げたが、新たに選手を獲得する際には小倉やチームの副部長である塩島啓嗣氏(元コーチ)が地元企業へ直接足を運んでいる。

一般的なクラブチームではまず自分で仕事を見つけ、その上で「このチームで野球をしたい」と自分で選んで入部するケースが多い。

一方で全足利クラブは逆で、「足利でやりたい」という思いが先にあり、そこから雇用先を探すマッチングを何人も手がけてきた。

小倉部長と塩島副部長は、選手の入れ替え時期のシーズンオフや節目となる大会の後になると、監督と一緒に、選手を雇用していただいている企業へ足を運ぶ。

そこで雇用面での相談をしたり、所属選手のチームでの状況などを報告したりと、地道に交流を続けている。

「いいなと思う選手がいれば、雇用面も考えてどういった企業がマッチするかを模索しながらお願いをしている」と栗原さんは述べた。

また小倉部長は、選手獲得におけるポイントについてこのように語る。

「クラブチームなので野球だけ頑張っていればいいということではなくて、しっかり働き、その労働の対価として給料をもらって生活していかなければなりません。70年以上続いてきたチームですので、そういうバックアップが一番大切だと考えています。

もちろん野球の実力も大事です。都市対抗出場もクラブ日本一も常に目標にしていますので、レベルが達してないと入団してから大変な面も出てきますから」

取材にも協力いただいた小倉正文部長

一体感が創出する「毎日練習できる環境」

「足利で野球をやりたい」と先に想いを抱く一つの理由、それは活動環境にもある。

選手たちは日中にそれぞれの職場で働き、平日は火曜から金曜まで仕事を終えた後の夜間にグラウンドへ集まる。週末は公式戦のほかオープン戦が組まれ、クラブチームでありながら週休1日で野球に打ち込める環境がある。

その活動を支えているのが、主な活動拠点としているジェットブラックフラワーズスタジアム(足利市総合運動場硬式野球場)。

行政が特別扱いするわけではなく、クラブ側も権利として使用を求めるわけではない。地域の施設を地域の一員として借り、必要な時には譲るという関係が、制度ではなく長年の信頼によって成り立っている。

「『空いている時は全足利クラブが使っていいですよ』というのが共通認識としてずっと受け継がれています。高校生や少年たちの大会などのほか、大きなイベントが入った時は、もちろんそちらを優先して、我々は別の場所へ行きます。

でも、そういうものがない時は、いつも使わせてもらっています。これも信頼関係の一つだと思います」

信頼関係の積み重ねがチーム活動にも表れている

そして、この環境こそが選手にとって全足利クラブを選ぶ大きな理由にもなっている。栗原さんはこう続けた。

「クラブチームでありながら、グラウンドがあって、毎日のように練習ができるチームは実際に数少ないのだと思います。

我々は火曜から金曜まで毎日練習ができる。クラブチームで野球を続けるなら『毎日のように野球ができる全足利に入りたい』と言っていただけるのだと感じています」

仕事があり、練習場所もあって、かつ一定のレベルで野球を続けられる。

それは当たり前の環境ではなく、行政や企業そしてクラブが長年かけて積み上げてきた財産であった。

“火を消さない”ことで続いた70年

これらのように地域一体で手を組み続け、足利では70年以上にわたって社会人野球の運営を継続してきた。栗原さんは「ここまでみんなが『火を消さないできた』ということなんですよ」と改めてその要因を語った。

一時的に大きな資金を投入し、強い力でチームを維持してきたわけではない。一つの企業に過度な負担を求めず、市民や行政にも決して無理を強いることなく、みんなで少しずつ負担いただきながら次の世代へ渡してきた。

支援企業側でも代替わりが進み、現在の経営者が二代目・三代目というケースもある。

それでも「昔からうちの会社が応援してきたチームだから」と支援が受け継がれることで、クラブの歴史が地元企業や市民の歴史そのものにもなっていった。

小倉部長も、70年以上続いてきた理由については「組織体制」を挙げる。

「チームを立ち上げた時は、どのチームにもエネルギーがあると思うんです。でも、それを続けていくには、それ以上のエネルギーが必要になる。

選手の雇用まで含めて支えていただける組織体制がしっかりしていることが、長く続いてきた一番の理由だと思います」

後援会などの組織がチームの運営を長く支えている

創部することより、続けることの方が難しい。その言葉は、企業チームの廃部・休部が続く現在の社会人野球にも重く響く。もっとも、全足利クラブも70年もの間、順風満帆だったわけではない。

現在の企業分散型の雇用体制へ移る過程では、チーム存続にも関わるほど苦しい時期を経験してきた。

後編では、その危機をどのように乗り越えたのかをたどりながら、全足利クラブが今、社会人野球の未来にどのような可能性を示しているのかを考えていく。

(つづく)

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