【スポーツマンシップを考える】勝利の定義をアップデートしよう

2026年、球春の現在地

2026年2月、プロ野球の世界もいよいよキャンプインを果たし、まだまだ冷え込みの残るグラウンドに球音が響き渡る季節がやってきた。プロ野球のキャンプ地からは、スポーツメディアを通して連日、新戦力の仕上がりや若手の台頭などが報じられている。とくに今年は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を控え、侍ジャパンに選出されたスター選手たちの仕上がりも急ピッチで進んでいる印象だ。

高校野球でもセンバツを控えたチームが大会に向けて追い込みに入っている時期である。指導者、保護者、そしてプレーヤーたちの誰もが、「今年こそは」という期待と、そして同様の不安を抱えながら、新シーズンの幕開けを迎えようとしていることだろう。

このHomebaseで、本稿「スポーツマンシップを考える」の連載が始まり、早いもので2年あまりが経過した。

この間、野球界にもさまざまな変化が生じてきている。競技時間の短縮を目的としたピッチクロックの導入、投球数制限の厳格化、タイブレーク制の定着、DH制の導入、7イニング制にまつわる議論……。

そこには、「粘り強く、時間をかけて」という野球観は、今や「スピーディーな展開と決断力の速さ」や「安心・安全に継続して愉しむことができるか」などが問われるスポーツへと姿を変えつつある。

こうした環境の変化は、コーチングの現場にも新たな問いを投げかけているといえよう。時代の要請に基づいて、ルールの変更や改正が行われ、それに適応するための戦術も高度化する中で、私たちは「スポーツマンシップ」というこの歴史ある言葉ながら新たな時代にも呼応しうる概念を、どのように現代の野球に適合させていけばいいだろうか。

2026年、「今」にふさわしい勝利と価値を両立させるための「戦略的スポーツマンシップ」について考えたい。

「勝つためにやる」の先へ

この時期のミーティングで、コーチが口にしがちな言葉として「勝つために、この冬の苦しい練習に耐えてきた」という類のものがある。この言葉自体に嘘はないだろうが、現代の若きプレーヤーにとって、「勝つため」という言葉の強制力はかつてほど絶対的なものではなくなっているかもしれない。

それは、彼らが「努力は必ずしも結果として報われるとは限らない」ことを知っているからだ。

そもそもスポーツにおいて全員が勝つことは構造的に不可能であり、また、勝負には運の要素も多く、絶対的な勝利など存在しない。SNSなどを通じて、「勝利・頂点の後の虚無」や「不適切指導による勝利の代償」といったリスクも数多く目にしている彼らにとって、単なる結果としての「WIN」だけを提示されたとしても、コーチとの間に精神的な乖離を生む原因となりうる。
いま、指導者に求められているのは、勝利の先にあるストーリーを提示する力なのかもしれない。


私たちはなぜ、この寒い時期に指先を凍らせながら白球を追うのか。それはただ単に相手チームより1点多く得点することだけが目的なわけではない。野球という極めて複雑で不条理に満ちたゲームを通して、「自分という人間がどうあるべきか」を知り、試行錯誤ながら成長し、未来を生き抜くために血肉となるような要素を得るためだといえよう。この本質的な視点こそが、スポーツマンシップの出発点である。

これまで本コラムでも繰り返し述べてきたふたつの「かち」、すなわち「勝ち(WIN)」と「価値(VALUE)」の二兎を追うという考え方を、単なる「理想論」として終わらせないためには、勝利自体を「目的」として据えるのではなく、真剣に勝利をめざすプロセスが自らを磨く「最高の砥石」、すなわち成長の「手段」であるとして再定義する必要がある。


ポジティブ心理学の先駆者であるミハイ・チクセントミハイ教授は、「人間がその時行っている活動に完全に没頭し、精神的に集中し、充実感を感じている状態」を「フロー状態」と定義し、人間が最も能力を発揮するのは、自分のスキルと挑戦のレベルが高い次元で釣り合い、没頭している時だと示した。スポーツマンシップを欠き、「怒られる」「外される」といった結果に対する恐怖に支配された状態であれば、脳は委縮し、フローに入ることは難しくなる。


一方で、相手をリスペクトしながら、ルールに基づき、全力で戦うことに喜びを感じられている状態であれば、選手のパフォーマンスは最大化する。「スポーツマンとしての振る舞い(VALUE)」を追求することは、結果的に、「勝利(WIN)」を手にするために最も合理的で最短のルートになる。

ここで誤解してはいけないのは、フローが決して「不安がない」状態ではなく、「高い挑戦」「不安を感じるほどの壁」に対して「高いスキル」で挑むことで生まれるポジティブな集中状態である点だ。コーチも、ただ優しくすればいいわけではないし、プレーヤーに媚びることを求めているわけではない。
 「勝つためには、スポーツマンシップは邪魔である」という発想は、本来のスポーツマンシップのあり方を十分に理解しきれていないゆえにもたらされるものだ。「勝つ確率を1%でも上げるために、最高水準のスポーツマンシップを身につける」こと、こうした思考へのパラダイムシフトが、これからのチームづくりに欠かせない戦略の核になる。

「Good Fellow」がもたらす集団のレジリエンス

近年、野球界においてもさまざまなルール改正が行われている。その対応において、一部では「いかにルールの目を盗んで有利に立ち回るか」という、いわゆる「ルール・ハッキング」的な動きが見られる。ピッチクロックの秒数を逆手にとった駆け引き、判定の隙を突くようなプレー……。

これらは一見「勝負に徹している」ように見えるが、スポーツマンシップの観点からは慎重に議論する必要がある。


スポーツインテグリティは、スポーツマンシップに基づいた「誠実さ」や「高潔さ」といえる。仮にルールで示されていなくても、正しく美しく振る舞うことが重要であり、審判が見ていないから、あるいは、ルールに明記されていないから何をしてもいい、という考え方はスポーツの本質的な愉しさを損なわせることになる。


現代野球においては、データとテクノロジーによってあらゆることが可視化されつつある。だからこそ、現場の意思や哲学が問われる。「データが勝てると示しているからやる」という受動的な態度ではなく、「データはこう示しているが、私たちのチームが重視するフィロソフィーの観点でこの選択は正しいのか」といったように、スポーツマンシップに則って主体的に問い直すことが大切だ。
また、SNSや動画配信によって、グラウンドでの言動、ベンチでの振る舞い、試合後の態度までがすべて可視化され、アーカイブされる時代にあっては、単なる「グラウンドの中だけの出来事」として済まされないケースも増えることだろう。このように、可視化が進むほど、人間側の「価値判断」というフィルターが重要になる。

ルールという「枠組み」を尊重しながら、その中でいかに創造的なプレーを生み出すか。審判を欺く技術を磨く時間があるなら、相手が想像しないような戦術を磨くべき。こうした発想こそが、野球という知的なゲームに対する最大のリスペクトであるともいえよう。

また、野球においてはさまざまなミスが発生する。連携ミス、判断ミス、技術的なエラー。その時、チームの中にどのような空気が流れるか。このミスに対する捉え方も、チームの飛躍のカギを握る。
 「何をやっているんだ!」「集中しろ!」といった怒号が飛び交うチームは、一見厳格に見えるが、実は極めて脆い可能性が高い。ミスをした選手は次のプレーで「失敗しないこと」を第一に考えて消極的になる。

これが集団のレジリエンス(回復力)を奪う。

一方で、スポーツマンシップが浸透しているチームは、ミスを「ゲームの一部」として受け止める。ミスをした仲間を責めるのではなく、そのミスが失点や敗北につながらないようにするために、次の瞬間に自分たちが何をすべきかにフォーカスする。これは決して、単なる「なかよしグループ」を意味するわけではない。

勝利というゴールを共有し、スポーツマン、「よき仲間(Good Fellow)」として互いを信頼し、厳しい要求を出し合える関係性であることを意味する。


 「尊重(Respect)」とは、相手に優しくすることだけではない。相手の可能性を信じ、高いレベルのプレーを期待し、互いの責任を明確にしながら、想いを共有すること。こうした緊張感ある尊重関係こそが、試合の土壇場における粘り強い守備や一丸となった攻撃を生み出す源泉となる。

コーチの「沈黙」が、プレーヤーの「覚悟」を育む

最後に、コーチのスタンスについても触れておこう。
コーチをいわゆる「指導者」と捉えると、どうしても「指導する人=教えすぎる人」となってしまう傾向が強い。昨シーズンの反省を活かそうと、自らの気付きを伝え、こと細かに指示を出し、プレーヤーの動きを操ろうとする。

しかし、「自ら考え、判断し、行動する」ことができるスポーツマンシップを身につけたプレーヤーを育むためには、コーチ自身の「自制心」が重要なカギとなる。


グラウンドで起きるあらゆる問題に対して答えを与えることや、プレーヤーたちに自らが正解だと信じることを教え込むのが、コーチの仕事ではない。プレーヤーが判断に迷っている際に、ときにあえて突き放し、彼ら自身に解決策を議論し探求してもらうことで、自ら答えを導き出せる力を養っていくことも肝要だ。そのようないわば「もどかしい時間」こそが、プレーヤーにスポーツマンとしての「覚悟」を宿らせる。

ここで、「コーチ」という言葉の語源に立ち返ってみたい。この言葉の由来が、ハンガリーのコチ(Kocs)という町ではじめて製造された「4輪馬車」にあることは、熱心なコーチの方であれば一度は耳にしたことがあるかもしれない。馬車の役割とは、「大切な人を、その人が望む目的地(Goal)まで安全かつ確実に送り届ける」ことである。重要なのは、「行き先を決めるのは、馬車を操る御者ではなく乗客である」という点だ。

転じて、スポーツにおけるコーチにおいても同じことがいえる。本来の「Good Coach」とは、自分の行きたい場所、すなわち「勝利」や「名声」を得るために選手を連れて行く存在ではなく、プレーヤーたち自身が掲げる「あそこへ行きたい」という志を尊重し、その道中がどれほど険しくとも、ともに走り続ける伴走者である。

コーチ自身がスポーツマンシップを体現するためには、プレーヤーをコントロール可能な駒として扱うのではなく、一人の自律した人格として尊重し、プレーヤーの未来を見据え、その成長を「信じて待つ」姿勢が欠かせないのである。


いま、新シーズンをめざして戦うチームのコーチがすべきことは、プレーヤーという「乗客」の目的地を再確認することかもしれない。馬車は「目的地まで送り届ける」ものだが、スポーツマンシップにおいては「勝利(WIN)」という目的地だけでなく、「どんな人間になりたいか」という「価値(VALUE)」を目的地として、プレーヤーとともに設定することが、馬車(コーチ)の真の役割である。「みなさんは、このシーズンが終わる頃、どんな景色を見ていたいのか」、こうした対話こそが、スポーツマンシップの土台である「尊重」を具現化する第一歩である。

たとえどのようにルールが変わろうとも、野球は「相手がいて、審判がいて、ルールに則ってプレーするゲーム」であり、スポーツマンシップという原理原則が変わることはない。

勝利の定義を「相手より1点多くとること」から、「最高のスポーツマンシップを発揮したうえで、その結果として相手より1点多くとること」へとアップデートしてみよう。その実現のためには、スポーツマンシップについて今一度しっかりと向き合い、考え直してみることが大前提だ。あなた自身のその「覚悟」が、プレーヤーの未来に向けた大切な道標となる。


今シーズン、日本中のグラウンドが、勝利と価値の両方をつかみとろうとする「真のスポーツマン」たちの熱気で満たされることを心から願っている。


中村聡宏(なかむら・あきひろ)

一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長
立教大学スポーツウエルネス学部 准教授

1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。2024年桐生市スポーツマンシップ大使に就任。

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