2026年夏に開催された第108回全国高校野球選手権大会では、61人の審判員が登録された。その一人が、仙台育英と札幌日大の開幕戦に抜擢された森田真紀さんだ。
「絶対に失敗できないという思いだけでした」
史上初めて採用された5人の女性審判で、森田さんは先陣を切ることになった。もし大きなミスを犯したら、「やはり女性だから」という色眼鏡で見られるのは間違いない。
加えて、開幕戦は特別な舞台だ。2024年夏の埼玉大会開幕戦で女性初の球審を務めた森田さんは、その意味をよくわかっていた。
「開幕戦は、その大会の方向付けをするような試合です。女性ということだけではなく、他の審判でも立ちたい方は絶対いらっしゃる。それくらい開幕戦は特別です。その一人に入ったという驚きと、私が立っていいのだろうかという不安の二つしかなかったです」
選手視点で見れば、審判は損な役回り
森田さんが甲子園の舞台に立つまでの道のりは、約20年前に始まった。審判を務めるようになったのは、自身の意思ではなかった。
「もう登録しておいたからね」
大学を卒業し、保健体育の非常勤教員として数校を掛け持ちしていた森田さんは、勤務先の高校野球部の監督に告げられた。
中高はソフトボール、大学では軟式野球と選手一筋の森田さんは、複雑な思いに駆られた。審判は絶対にやりたくない、と思っていたからだ。
森田さんの母親はソフトボールの審判で、その大変さはよくわかっている。選手の立場から見ても、審判は損な役回りに映っていた。
「選手だから当然、審判の判定に納得のいかないことがあります。普通に判定していても、文句を言われるじゃないですか。なんで、わざわざ文句を言われに行かないといけないのかと思いました」
大学卒業後もクラブチームでプレーしていた森田さんは、非常勤で勤める高校野球部の練習に参加させてもらっていた。土日は基本的に練習試合が組まれ、森田さんにできることはほぼない。そこで「審判の手伝いをさせてください」と勤務先の高校野球部の監督に申し出ると、森田さんは埼玉県高校野球連盟の審判に登録されていたのだ。
10年離れても終わらなかった審判人生
「今度の大会はエントリーできますか?」
大会で審判を担当すれば、勤務校の試合を見ることができる。森田さんは審判をやりたくないという気持ちより、普段一緒に練習している選手たちを近くで見たいという思いが強かった。
「同じグラウンドに立てるので、選手のような感覚で試合を一番近くで見られます。それが当初は審判の魅力だと感じていました」
当時、埼玉県の高校野球で女性審判は他に誰もいなかった。25歳の女性審判を、同僚たちは温かく迎え入れた。
「先輩方が後ろについてくださって、『次、あっちに行け』『はい、戻ってこい』とか、手厚く面倒を見てくれました。ご年配の審判員の方から、姪っ子のようにかわいがってもらっていました」
審判のキャリアを重ねるにつれ、森田さんはうまくいかない悔しさを募らせるようになった。グラウンドでジャッジをして、「今日は100点だった」と言える日は皆無だ。「もっとうまくできるようになりたい」と、元来の負けず嫌いが審判を続ける原動力になった。
だが、徐々に仕事が忙しくなり、結婚して二人の子どもを出産すると、週末にグラウンドへ行く時間はとても取れなくなった。
それでも埼玉県高野連の審判部は、「講習会があるよ」「飲み会をします」などと連絡を絶やさなかった。
結局森田さんは約10年間離れたのち、2020年に復帰する。再びグラウンドに戻ろうと決めたのは、選手としての不完全燃焼感だった。
「仕事や出産で、 選手として中途半端に終わってしまったという後悔がありました。だから審判は、ここでやめるという発想が生まれなかったです」
森田さんは28歳頃まで、忙しい日々を送った。月曜から土曜は保健体育の教員として働き、野球部で一緒に練習する。週末には高校野球の審判を務め、選手として軟式クラブチームでプレーする。休めるのは雨の日くらいだった。
その後は約10年間、仕事と育児中心の生活を経て、埼玉県高野連の審判に復帰した。すると以前とまるで同じように、一人の仲間として迎え入れてもらった。
甲子園に行くか、審判をやめるか……
森田さんが審判に復帰して6年後の今年、甲子園で女性審判が採用されることになった。2025年に女子野球アジア大会で審判を務めた森田さんだが、甲子園のオファーを受けるかは悩んだ。
「そもそも女性は甲子園に行けないと思っていたのが、急に行けることになりました。ああいう大きな場所で、ましてや女性が出るのはものすごいプレッシャーです。もし受けないことにしたら、審判はもう辞めようかなと考えました」
悩みに悩んだ森田さんは数人に相談し、審判としてのキャリアを見つめ直した。自分はどういう理由でこれまで続けてきたのか。
最初は「ただ楽しい」と始めたのが、気づけば「うまくなりたい」と思うようになり、徐々に「人に見られること」を意識するようになった。その先に訪れたのが、甲子園で初の女性審判を務める機会だった。
森田さんが受諾することに決めたのは、三つの理由がある。
「せっかくチャンスをもらえたということ。甲子園に行きたくても行けない時代があったなかで、チャンスが巡ってきたこと。どこの場所でも、同じ野球であること。この三つが、やってみようかなという気持ちになった理由です」
2026年、第108回目の夏の甲子園大会。史上初となる5人の女性審判が採用されたなか、森田さんは開幕戦に抜擢された。その重みは重々に承知している。
大役を担ってグラウンドに立つと、初回、いきなり試されるかのような場面が訪れた――。
(文:中島大輔)

