
2027年5月14日から30日までの17日間、「ワールドマスターズゲームズ2027関西」が開催される。
本国際大会は、“原則30歳以上であれば誰でもエントリーできること”が大きな魅力。
野球では軟式と硬式のそれぞれにて開催され、日本野球を世界へと発信する新たな機会としても期待されている。
ワールドマスターズゲームズで野球を開催することにどのような意義があるのか。
「マスターズ甲子園」の創設者で、本大会の誘致に尽力した長ヶ原誠氏(神戸大学 大学院 人間発達環境学研究科 教授)に伺いながら、その大会の価値などに迫る。※全2回のうち1回目。
(取材 / 文:白石怜平、写真:長ヶ原氏提供)
エントリーを行えば「国際大会に出場できる」
ワールドマスターズゲームズは、原則30歳以上を対象とした国際総合スポーツ大会である。
競技ごとに定められた参加資格を満たせば、過去の実績や代表選考などなく出場が可能で、野球では硬式野球(兵庫県)と軟式野球(滋賀県)の両方が実施される。
侍ジャパンのように選ばれた選手だけが日の丸を背負う世界大会とは異なり、野球を趣味の一環として続けている選手や一度離れた人にも世界へ挑戦する道が開かれている。
「エントリーした時点でみなさん国際大会の選手です。好きな野球で世界デビューができるんです」
そう語った長ヶ原教授は、スポーツプロモーションや生涯スポーツを専門とし、「マスターズ甲子園」の創設者としても知られる。ワールドマスターズゲームズを関西へ誘致する活動も、長年にわたって行ってきた。
大会の特徴について、自らの口でこのように語る。
「エリートスポーツにおける最高峰がオリンピックやパラリンピック、野球では侍ジャパンだとすれば、ワールドマスターズゲームズは『生涯スポーツにおける国際総合競技大会』です。
大きな特徴は開かれた大会であること。競技歴や過去の成績による選考があるわけではなく、基本的には年齢などの参加資格を満たせば出場できます」
スポーツの国際大会と言えば、厳しい予選や選考を勝ち抜いたトップアスリートが出場するというイメージがある。その一方で、ワールドマスターズゲームズは出場するにあたって競技レベルは問われない。
「もう一度、目標を持って競技に取り組みたい」・「自分も国際舞台に立って世界の選手と対戦してみたい」という想いを、自らエントリーすることで形にできる大会である。
人生にスポーツが寄り添う「Sport for Life」
ワールドマスターズゲームズの原点は、1985年にカナダ・トロントで開催された第1回大会にある。
その根底に掲げられた理念が「スポーツ・フォー・ライフ」。スポーツを一時期だけで終わらせずに、人生に寄り添うものにしていこうという考え方である。
長ヶ原教授は、主催団体であるワールドマスターズスポーツ理事も務める立場からその理念についても解説した。
「よく使われる『スポーツ・フォー・オール』は、誰もが平等にスポーツへ参加できるという横の広がりを表しています。
一方で『スポーツ・フォー・ライフ』はスポーツを生涯にわたって続け、人生を豊かにしていくという縦の視点です。年齢とスポーツがうまく結びつく社会をつくっていこうという想いからこの理念ができました」

大会参加対象は上述の通り原則30歳以上。それさえ満たせば年齢・性別など関係なく誰もが世界の舞台に立つことができる。
人生を通してスポーツに熱中する姿を次世代に示すことで、“生涯スポーツ”への興味関心を引き寄せる一つのきっかけになると長ヶ原教授は考えている。
「ワールドマスターズゲームズは当事者だけのものではないです。年齢を重ねてもスポーツを楽しんで、一生懸命に競技する姿を若い世代にも見てもらう。
『スポーツは何歳になっても楽しめるんだ』と、ユース世代をインスパイアすることも大切な理念の一つです」
30歳で出場した世界大会が原点に
長ヶ原教授自身もワールドマスターズゲームズの舞台に立った経験を持っており、それが現在へのルーツとなっている。
当時カナダの大学で研究と教育に携わっていた1998年、アメリカのオレゴン州で行われた大会へ出場した。
かねてから野球が好きで元高校球児であったことから、ここでも野球でのエントリーを模索し現地でチームをつくろうとしたものの、必要な人数が集まらなかったため断念。
そのため、一人でも出場できる陸上競技の400メートルで参加した。
当時30歳だった長ヶ原教授は30~34歳のカテゴリーで出場すると、参加人数の関係から予選を経ずにファイナリストとなり、元オリンピック選手と同じレースを走ることになったのだという。
差はあったものの、最後まで走り切った長ヶ原教授を観客は大きな拍手で讃えた。
「隣のレーンには元オリンピック選手がいて、私はそこから30秒ほど遅れてゴールしました。それでも、会場から声援をいただいたんです。参加者として味わったあの感動は今でも忘れないです」
トップアスリートを経験した者と一般の競技者が同じフィールドに立ち、年齢や実績を超えて互いの挑戦をたたえ合う文化を感じた長ヶ原教授。そこでは勝敗や記録だけでは測れない価値が共有されていた。
そして野球会場へ足を運ぶと、かつてメジャーリーグで活躍した選手を含むチームも参加していた。その光景を見て、「やはり自分もいつかは野球で出場したい」と感じたという。
「それまで持っていた、スポーツと加齢に対する固定観念が吹き飛びました。一生懸命に競技するのであれば、年齢は自分自身の問題でしかない。そういう人たちが世界中から集まってくる大会だったんです」
加齢に伴ってスポーツを縮小していくのではなく、経験を重ねながら継続していく。そのカルチャーを日本にも根づかせたいという思いが、関西大会の誘致へとつながっていった。
四半世紀をかけて実現する関西大会
長ヶ原教授が日本で誘致活動を始めたのは2001年。最初に開催地として名乗りを上げたのは滋賀県だった。
琵琶湖をはじめとする豊かな水資源を活かし、当時多かった水上競技を受け入れる構想を描いた。
04年の招致ではシドニーに敗れて開催は実現しなかったが、それでも“滋賀レガシー”として蓄積された関係性は途絶えず、IMGA(現:ワールドマスターズスポーツ)からアジア初開催への期待が寄せられていた。
そんな中、関西への提案書が当時の井戸敏三・兵庫県知事宛てに送られる形で機運が再燃する。そして13年、この8年後に関西での開催が正式決定するが、新型コロナウィルス禍により延期を余儀なくされた。
「過去の大会でも開催を断念しているケースがあったのですが、それでも関西は諦めなかった。このスタミナはすごかったと思います」
IMGA側からは大会を継続まで導いたことから、「世界で最もサステナブルなスポーツイベントになる」と期待されているという。
関西が選ばれた理由について、長ヶ原教授は招致計画書を作成する過程で見えてきた“ホスト力”を挙げる。
「国際空港を含む交通網に豊富な宿泊施設、成熟したスポーツ施設と指導体制そして観光資源があります。あとは“笑いと涙”に象徴される関西独自の文化やおもてなしの精神が、マスターズゲームズの持つ空気感と高い親和性があると考えています」
加えて日本の社会課題とされているものが、逆に大会に価値を与えるものになると長ヶ原教授は続けた。
「日本は世界的に見ても高齢化社会です。だからこそ、『年齢を重ねてもスポーツは楽しめる』ことを発信できる、最適な舞台になると思うんです」

時)
当初はハードルが高いともされた5万人規模の目標登録者数も、今では達成が視野に入るほどの勢いを見せているという。
後編ではより野球にフォーカスし、硬式野球と軟式野球が行われる意義や、世界大会を目指すことが選手にもたらす変化などについて深掘りしていく。
(つづく)
