「自責」と「変化」が拓くスポーツの未来

「国民栄誉賞の日」に実現した奇跡の巡り合わせ

 2026年9月5日。秋の風を感じるさわやかな好天に恵まれた群馬県桐生市において、「球都桐生ウィーク」のハイライトとなる『スポーツマンシップサミット in Kiryu 2026』が開催された。

 「9月5日」は特別な意味を持つ日である。1977年のこの日、通算本塁打世界記録となる756号を達成した王貞治氏に、史上初めて「国民栄誉賞」が授与された「国民栄誉賞の日」。昨年はその王氏が球都桐生を訪問されたが、奇しくもこの記念すべき日に特別ゲストとしてお迎えすることになったのが、今年8月4日に国民栄誉賞を受賞されたばかりの元スピードスケート選手・髙木美帆さんだった。冬季オリンピックに4度出場を果たし、日本人女子最多となる通算10個のメダルを獲得してきた、日本のスピードスケート界に燦然と輝く至高の存在である。

 会場となった美喜仁桐生文化会館(桐生市市民文化会館)スカイホールには、髙木さんの話を聴きたいという市民、スポーツ関係者、メディア関係者など460人が市内外から詰めかけ、終始あたたかな熱気に包まれていた。荒木恵司桐生市長からは、花束と、群馬県産シルクのネックレスとブレスレットのセット、そして着物生地をリメイクした桐生アロハが贈られた。

 私は、桐生市スポーツマンシップ大使として、「スポーツマンシップの今と未来」と題した基調講演とともに、髙木美帆さんとの対談の聴き手を担当させていただいた。

 私自身、ここ15年ほど日本オリンピック委員会(JOC)広報誌の編集を担当してきたが、その中で髙木さんとは、北京2022、ミラノ・コルティナ2026の冬季オリンピックにおいて、メダリストとしてオンラインツールを通じて画面越しにインタビューをさせていただいてきた。とくに、ミラノ・コルティナ2026大会の女子チームパシュートでは、私が教鞭を執る立教大学スポーツウエルネス学部在学生でもある野明花菜選手も髙木さんとともに銅メダルを獲得できたこともあり、特別思い入れの深いアスリートの一人である。そんな髙木さんと、今年5月に佐賀(SSP NEXUS)でリアルに初対面を果たすことができたが、そこから約4ヶ月後のこの特別な日に「球都桐生」のステージで直接対談できたことは、胸が熱くなる奇跡的なご縁でもあった。

 アスリートとして世界のトップで戦い続けてきた彼女の発する言葉は、至極のメッセージにあふれていた。本稿では、その中から印象に残ったエピソードをご紹介していきたい。

ソチ落選で学んだ「他人のせいにしない自責の覚悟」

 対談冒頭、髙木さんが経験してきたオリンピックに関してお話を伺う中で、偉大なキャリアにおける最大の転機だったと語る「ソチ2014冬季オリンピックでの落選」の話題に及んだ。15歳という若さでバンクーバー2010大会に出場を果たし、思うような結果こそ残せなかったものの、天才少女としてメディアからも大きな注目を集めた髙木さん。

 高校生活においては、「スケートだけに縛られず、普通の高校生としての生活も全力で愉しむ」姿勢を貫いていたという。学業、部活、ヒップホップ、テコンドー……。すべてに全力を注ぎながらも日本代表に入り続けていた経験が、どこかで「これまでと同じようにやっていれば、ソチでも代表になれる」という甘い気持ちを生んでいた。日本体育大学1年で迎えたソチオリンピックシーズン、環境が激変するなかで彼女がとった行動は、スケートへの向き合い方は変えたくないという「変化の拒絶=防御反応」であった。

 「成長は、変化していくこと。でも、当時の私は変化を拒み、守りに入ってしまった。周りが勢いを上げていくなかで、現状維持どころか衰退へと向かってしまった。すべてを賭けて挑んでいるライバルたちを横目で見ながら、落選した瞬間、『そりゃそうだよな』と気づきました。これは挫折ではなく、単なる私の実力不足でした。」

 この痛烈な猛省から生まれたのが、「二度とあの悔しさを味わいたくない」という想いと、「自分の心に従って自責で決断する」というスポーツマンシップの真髄ともいうべき姿勢だった。

 他人のせいや何かのせいにするのは簡単だが、自分の人生を左右する大切な局面でそうしてしまうほど悔しいものはない。ソチでの悔しさを原動力に、彼女はそれまでメーカーから支給されていたスケート靴のみを履いていたが、海外製のオーダーメイドシューズへと自ら変更することを決めるなど、リスクを恐れることをやめ、自らの意志で「変化」を起こし始めたという。失敗や不運の責任を他者に転嫁することなく、自らの決断ですべてを決める「覚悟」は、後の平昌、北京、ミラノへと続くメダルとつながる第一歩となったのである。

ヨハンコーチからの「プロ意識を持って行動する」教え

 自責の覚悟を手にした髙木さんに、さらなる飛躍をもたらしたのは、オランダから招聘されたヨハン・デビットコーチとの出逢いであった。着任早々、ヨハンコーチは髙木さんらにこう問いかけたという。

 「ポテンシャルは十分高いのに、なぜ自ら限界を決めてしまうのか。『プロとして勝つ人間』ならどう行動するかを考え、つねにプロ意識を持って行動しなさい。」

 この言葉が、彼女の日常の全行動を劇的に変えた。

 カフェに入ったとき、目の前に大好きな甘いケーキがあっても、「世界で勝っているオランダのライバル選手なら、ここでケーキは食べないはずだ」と自らに問いかけ、コーヒーだけにとどめるようにする。私服はシンプルに済ませる一方で、睡眠の質を高めるマットレスなどには一切の妥協をしない。用具選びから休息の取り方に至るまで、すべての選択を「スケートで勝つため」という基準に紐付け、自律を極めていった。

 こうした彼女の行動・思考こそは、本コラムで繰り返し訴えてきたスポーツマンシップの体現そのものであるといえよう。単なる尊重やフェアプレーの話にとどまらず、勇気や覚悟ともつながる日常の立ち居振る舞いや、自分自身を裏切らない「自律のOS」の大切さをあらためて感じさせられた。私たち大人が未来を担う子どもたちに伝えるべきは、単なる技術の正解ではなく、こうした「自分を律するプロ意識の美しさ」でもあるといえよう。

多様な興味関心と言葉への誠実さ

 また、対談の中で非常に興味深かったのが、彼女の幼少期における「マルチスポーツ(複数競技への挑戦)」も含めた、多様なスポーツや文化体験のエピソードであった。

 小・中学生時代、夏はサッカー、冬はスケートというシーズン制でスポーツに打ち込んでいた髙木さん。半期ごとに競技が変わることでマンネリ化を防ぐことができるとともに、「サッカーのせいでスケートが下手になったと言われたくない」という強い情熱から、短期集中で双方に全力を注いでいた。このマルチスポーツの経験は、結果として彼女に「ケガをしにくい丈夫な身体の土台」をもたらした。スケート特有の深い前傾姿勢、左回りばかりで滑ることによる局所的な関節負荷を、夏場のサッカー、ヒップホップダンス、テコンドーなど異なる身体の動かし方をするものも愉しむことで分散していたというのである。

 先月の本稿の中でご紹介した「LIGA Summer Camp 2026 in 北海道」や、5月にご紹介した「競技の壁を越える学び」と同様に、早期に一つの競技だけに縛りつけない多角的な視点や競技体験、また身体活動にとどまらない広い分野にまたがる越境的学びは、私たちが成長するうえで極めて有益である。

 事実、国民栄誉賞を受賞した一人の偉大なアスリートの人間性と強靭さを育んできた背景にある事実は、現代におけるジュニアコーチングにおいて極めて深い示唆を与えてくれる。

 また、彼女の誠実な人柄を物語るのが「言葉に対する責任感」だった。小学4・5年生の頃、地元・北海道のローカル紙の取材を通して「スケートで強くなるためにサッカーをやっている」と自らの発言の意図と異なる書かれ方をされ、「一緒に戦うサッカーチームの仲間たちがこの記事を読んだらどう思うだろうか」と激しくショックを受けたという。

 一度、世に出た言葉は取り消せない。

 だからこそ彼女は、インタビューでも取り繕ったり、誤解を生んだりするような曖昧な回答を避け、しっかりと熟考しながら、自分の気持ちに嘘をつかない丁寧で真摯な言葉を選び続けてきた。この「他者への想像力を働かせるリスペクトの姿勢」こそ、彼女が世界中のライバルから「Good Fellow(善き仲間)」として愛される理由であるといえよう。

単なる取引ではない「人と人とのエネルギーのやりとり」

 そして、対談の締めくくりとして、髙木さんが参加者へ贈ってくれたメッセージは、会場にいたすべての人の心に深く刻まれたのではないだろうか。

 個人種目のイメージが強いスピードスケートであるが、彼女は現役最後の4年間、企業チームから離れ、自らが主導して「Team GOLD」というチームを立ち上げた。そして、一人で練習する限界を感じたことで、チームを創り上げ、メンバーでともに助け合い高め合う組織を自らプロデュースしたのである。

 「トレーナーやケアをしてくださる方々の技術は、お金を払えば当然手に入るというものではありません。そうした技術を提供してもらうことも単なる金銭的やりとりではなく、『人と人とのエネルギーの交換』なのだと感じるようになりました。熱量をもってサポートしてくれる人たちに対し、私たちアスリートが返していくべきものは、結果はもちろんですが、それだけでなく、自分の経験、提案などでお返ししていく。チームメイトに対しても同様で、お互いが助け合うエネルギーや気持ちのやりとりや循環があったからこそ、私たちはチームとして強くなれましたし、それを現役中に経験することができたことはすごくよかった。」

 彼女の話から、アスリートとコーチやサポーターの関係は、「お金を払っているのだからやって当然」「指導しているのだから従え」という利害や支配の関係ではなく、人と人との想いが交錯するエネルギーの循環が重要であること、スポーツにおける「共育力」であると感じることができた。

 「球都桐生ウィーク」、そして、「国民栄誉賞の日」に、髙木美帆さんが語ってくれた気高い言葉の数々は、目の前の勝利や過去の成功体験にとらわれてしまいがちな私たちに、あらためて、「古い地図を捨てる勇気」を与えてくれた。そして、サミット会場に全国から集ったスポーツマンシップコーチ資格取得者のみなさん、子どもたちの輝く瞳、そしてスカイホールを包んだ460人の万雷の拍手。伝統ある球都桐生から放たれたスポーツマンシップの輪が着実に広がっていることを感じることができた1日となった。

中村聡宏(なかむら・あきひろ)

一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長
立教大学スポーツウエルネス学部 准教授

1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。2024年桐生市スポーツマンシップ大使に就任。

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