約20年前から埼玉県高校野球連盟で審判員を務める森田真紀さんは今夏、史上初の女性審判として甲子園の舞台に立った。
大役を任されたのは開幕戦で、5人の女性審判の先陣を切ることになった。
「ずっと表情がこわばっていたよ」
試合後、森田さんは周囲にそう声をかけられた。
「もちろん緊張はしていたけれど、そこまでというわけではありませんでした。でも、どういう表情でやればいいのか、わからなくて」
絶対に失敗できない――。
普段にも増して力が入る様子は、森田さんの表情に表れていた。
初回に「やっぱり来た」クロスプレー
プレーボールのサイレンが鳴った直後の1回表。先攻の札幌日大は一死から四球で出塁する。
直後、暴投で一塁走者が二塁に向かった。捕手がセカンドに送球すると、クロスプレーに。森田さんはしっかり見極め、セーフのジャッジを力強く下した。
「序盤にああいうプレーが来て、逆に良かったです。『ジャッジの機会がいつ来るんだろう?』というより、『あっ、やっぱり来たな』というプレーでした。甲子園という場所ですけど、いつもの球場でやっているのと同じような感覚であの一瞬だけはできました」
守備に就いている選手は、最初の打球をさばいてようやく緊張がほぐれると聞く。森田さんは「その感覚を初めて味わいました」。
夕刻に始まった試合は、日が落ちて暗くなった20時すぎに無事終了した。約2時間半、森田さんはこれまでと違う感覚に包まれていた。
「甲子園を冷静に見たら、すごくきれいだなと。そのなかにいさせてもらってありがたかったです」
試合後、初の女性審判を務めた森田さんは取材にそう答えた。改めて振り返ると、試合中はどんな感覚に包まれていたのだろうか。
「言葉にするのは難しいけれど、独特な雰囲気でした。もちろん勝ち負けもありますが、それ以上にみんな必死でやる。選手だけではなく、審判も、見ている人たちも一体になるという感覚は、あそこだけなのかなと感じました」
選手はもちろん、関係者やスタンドの観客も、輝いて見えた。それを森田さんは「きれい」という言葉で表した。
「同じ野球をやっていても、甲子園のあの一体感は、ちょっと感じたことがありません。みんなの空気が一つになっているから、ああいうすごいプレーが出るよな、と。子どもたちは気持ちよくプレーできるよなっていう雰囲気を、すごく感じました」
甲子園で初めてわかった「審判」の意味
開幕戦を含め、森田さんは3試合で審判を担当した。無事に大役を務め終わり、初めてわかったことがある。
「大きな大会を担当するようになってから、いろんな方に『審判はオーケストラの指揮者と同じ』と言われてきました。その意味がわからなくてやってきたけれど、甲子園に行って、『ベストコンダクターって、こういうことか』とわかりました。それを体感したので、今度は自分がやってみたいです」
球場で試合を構成するすべての要素が、選手たちの力を最大限に引き出していく。甲子園にはそうした″一体感”があり、審判もその一つになれると森田さんは初めて感じられた。
「甲子園の雰囲気が引き出しているのか、あるいは審判も含めた相乗効果なのか。それはわからないけれど、自分もそうなりたいと思いました。審判としてできるのは正確なジャッジと、 試合のテンポのつくり方。選手たちへの声のかけ方と、自分の所作。今思いつくのは、そういうことですね」
約20年前、勤務先の高校野球部の監督が森田さんに黙って登録したことで、審判の道が開けた。今回晴れ舞台に立つと、その監督が連絡をくれた。
「頑張ったね。よくここまで続けてきたね」
森田さんにとって、さまざまな努力が報われる言葉だった。
「また戻れる場所」をつくりたい
25歳だった森田さんが審判を始めた頃から、埼玉県高野連に登録する審判員の数は減少の一途を辿っている。高齢化と人員不足は大きな課題だ。
埼玉県には学生審判も多くいるが、卒業して就職すると本業が忙しくなり、活動から一度離れていくケースが少なくない。
「男性だからかもしれないけど、離れたままになってしまう方が多いです。ライフスタイルに変化があっても、『またここだったら戻れるかな』という場所をつくっていく必要があると、最近すごく感じます」
森田さん自身は、審判を一度離れて約10年後に復帰した。埼玉県高野連の地区責任者が、連絡を絶やさないでくれたことが大きかった。
現在、森田さんは小学6年の女の子と小学4年の男の子を持つ二児の母で、さいたま市立の中学校で保健体育の教員とバレーボール部の顧問を務めながら、審判としても活動している。
女性の立場から、どんな環境があると望ましいだろうか。
「ぜいたくかもしれませんが、託児所があるといいですね。埼玉県高野連は『子どもを連れてっていいですか?』と聞くと、 『じゃあ、マネージャーにお願いしておくね』と言ってもらったり、お部屋を用意してくださったりします。理解があるのかなと感じますね」
審判を務めれば、選手と同じ目線で野球の試合を見ることができる。それが約20年前から現在まで、森田さんが感じる審判の醍醐味だ。
自身がそうして野球の魅力に浸かっているからこそ、一人でも多くの仲間が増えてほしいと森田さんは望んでいる。
(文:中島大輔)

