(※本記事は前後編の後編。前編を読む )
4年春のオープン戦で最速153km/hを計測して以降、「上智大学初のNPB指名なるか」と注目された右腕投手・正木悠馬が“運命の日”を迎えた2025年10月18日。
プロ野球ドラフト会議の中継が始まると、学内に用意された一室に野球部員たちが集まり運命の行方を見守るなか、“主役”はしばらく姿を現さなかった。指名されるとしたら支配下ではなく、育成枠と考えていたからだ。
「育成指名の時間まではいつも通り、トレーニングをしようと思っていました」
ドラフト会議当日は朝10時のオープンと同時に九段下の「ストレングス工房」へ。トレーニングを2時間行い、昼食を挟んで新宿に移動し、初動負荷のジムで汗を流した。その後は四ツ谷にある大学のジムで体を動かそうと思ったが、少しゆっくりしていると育成ドラフトが始まった。
夕刻の会議開始から約3時間が過ぎた頃、西武の育成6位で正木の名前が呼ばれた。学内の会場には学生が集まるからと遠慮し、自宅で中継を見守っていた吉田裕監督は一人で喜びを噛み締めた。
「本当に指名されて良かったなという気持ちが非常に強かったですね。ちゃんと彼の将来性を見ていただけたんだという、感謝の気持ちが強かったです」

飽きずに探求できた理由
大学から投手を本格的に始め、投手コーチもトレーナーもいない環境のなか、正木は独学でドラフト指名を勝ち取った。その歩みを振り返ると、成長への巧みな戦略を見てとれる。
飛躍に至った大きな要因は、大学2年時から力を入れ始めたウエイトトレーニングだった。
「投球フォームは感覚をつかむことが大事だと思います。だからこそ一つのきっかけで一気にパッと上がることがあるけれど、フィジカル面は一気に上がるとかはなく、やり続けないと伸びません。最初に体ができないと、フォームを気にして投げるラインにも立てないと思ったので、下級生の頃はトレーニングを中心にやっていました」
朝、トレーニング場で「きついな」と感じることもあった。それでも地道に取り組み続ければ、成果が出ることはわかっていた。
持ち上げられる重量は徐々に増えていき、自分の成長を数字で実感できるのが楽しかった。大学4年時にデッドリフトは体重の約3倍に当たる240kgに到達、筋出力につながるボックスジャンプは150cmを記録するまでになった。
だが、重量は着々と増えていく反面、成果は必ずしも投球に反映されたわけではない。トレーニングの目的は、あくまで球速アップだ。大学3年時の秋季リーグ最終戦で148km/hを計測したが、目標の150km/hにはなかなか届かなかった。
「いろいろ動画を見て、試しながら自分に合う体の使い方を探し続けても、なかなか見つからないのはきつかったですね。でも、自分の身体能力を生かし切れていないという思いがずっとあって。結局自分を信じるというか、『何かがはまれば絶対もっと出せるんだ』と思い続けられたからこそ、ずっと飽きずに探し続けることができました」
正木が自分を信じられた根拠は、ウエイトトレーニングの数値だった。デッドリフトなどの種目で一定の重量に到達すれば、どれくらいの球速が出るという目安もある。下級生の頃から地道に筋トレを続けてきたから、何度失敗しても、自身の可能性を信じて起き上がることができた。

後押しされた出会い
そもそもなぜ、正木は150km/hを目標に掲げたのだろうか。
「自分が所属していたのは3部リーグだったからです。単純に他の1部リーグと比較するとなったら、わかりやすい数値がないとそもそも横にも並べないと思っていました。もちろん球速だけでないことはわかっていたけれど、そこが出ていないとそもそも始まらないと考えていたので。そこがスカウトに見られ始めるラインだと思っていたので、まずは150km/hを目指しました」
適切な目標を設定し、トレーニングで体をつくり上げる一方、投球フォームは自身と体格の近い投手を参考にした。ネット上で動画を見続けると、股関節や肩甲骨の入り方など「こういう体だから、こういう使い方をする」とわかるようになった。
「日本や海外も関係なく、誰もが知るようなピッチャーは一通り見ています。一般の方が上げている動画も参考にしました。体のある部分を入れてからの動き方は、中心部分はやっぱり似ているので。西武で言えば今井達也投手だったり、自分と似たような体格の人の方が参考になるので、いろいろ見ながらやっていました」
飽くなき向上心を持ち続けると同時に、自身を成長させるためには環境も重要になる。上智大で正木を引き上げてくれた一人が、1学年上でBCリーグの福島レッドホープスに進んだ右腕投手・ユエン凱だった。
「自分が3年生のとき、練習のある日は毎日自主練に付き合ってくれました。ユエンさんは卒業後も野球を続けたいと強い意志を持っていて、その影響もありながら自分もやりたいという気持ちが強くなっていきました」

ユエンが卒業し、大学4年生を迎えた頃にも新たな出会いがあった。卒業後、野球を続けるかどうか迷っていたとき、前監督を通じて紹介されたのが東都リーグ1部の國學院大学を率いる鳥山泰孝監督だった。
「進路を迷っている頃、『このまま普通に働いたら後悔するかもしれない』という話をさせてもらいました。鳥山監督から『じゃあサポートするから、野球を頑張ってみない?』と声をかけていただいて。背中を押してくださったのは大きかったですね」
國學院大の練習に参加させてもらうと、投手コーチがアドバイスをくれた。野球部の意識の高い選手たちと一緒に練習し、心から楽しいと感じられた。
「もちろん実力はすごいし、高い意識でやっている人たちと一緒にできるのはいいなって思いました。それが答えではないですけど、そう思うということはやっぱり野球なのかなと」
覚悟を決めた正木は春季リーグ開幕前のオープン戦で、自身最速となる球速153km/hを計測。長らく阻まれていた壁を越えると、視察に来るスカウトも増えていった。
「失敗しても、戻ってこられる」
そして2025年秋、西武から育成指名を受ける。社会人野球、MLB球団とのマイナー契約、アメリカの大学院に進学して野球を続けるという選択肢もあったが、最良の道に進むことができた。
「ライオンズにはバイオメカニクス部門もあると聞きました。今までは自分で動画を撮って自分の感覚だけでやってきましたが、科学的にいろいろ見て調べられるので、そこは楽しみな部分が大きいですね」
大学から投手を本格的に始め、独学で取り組んできた正木はプロの恵まれた環境に飛び込んだら、どのように成長していくのか。前例の少ないチャレンジだけに、楽しみにしている球界関係者やファンも多いはずだ。
正木自身、自身の未来に胸を膨らませている。
「少しでも良くなる可能性があるなら、失敗してもいいから挑戦し続けるというタイプです。失敗しても戻ってこられるという、根拠のない自信があるので(笑)。大学ではあまりいい環境でやれていないと言われていますけど、たとえいい環境でやっても、自分を信じてやり続けられないとうまくいかないと思います。環境は関係なく、結局は自分次第。そこだけは今後もブラさずにやっていきたいなと思います」
自分で考えてやり抜く力は、プロで活躍するには不可欠な要素だ。周囲とは違う道を歩みながら養った武器を手に、正木はどこまで飛躍できるか。
楽しみな挑戦が、もうすぐ始まる。
(文/写真・中島大輔)(サムネイル写真は正木選手提供)

