小中高の野球競技人口が減少の一途をたどるなか、競技者数や継続率をアップさせようという普及振興活動が全国で増えている。静岡県で精力的に取り組む富士高校はその一つだ。
「僕は高校野球のお兄さんに憧れて小学5年の終わりに野球を始めました。夏の大会をおじいちゃんと一緒に見に行って、『自分もあそこに立ってみたい』と。高校生たちは身近には感じるというより、憧れの存在でした」
そう話したのは、富士高野球部で副キャプテンを務める藤田理一だ。
彼が入学した2022年春、富士高では野球普及振興活動が始まった。三島南高校時代に36回の野球振興活動を行い、春の選抜高校野球に21世紀枠で出場した稲木恵介監督が赴任してきたからだ。
「正直、高校で本気の野球をやっている生徒たちが、幼稚園児に教えるというのは驚きました」
女子マネジャーの五十嵐そらは率直に明かす。彼女と同学年の藤田も同じ思いを抱いた。
だが、藤田は稲木監督に渡されたリーフレットで野球振興活動の目的を読むと、「立場が違えど同じ野球人。こういう活動は必要だよな」と納得した。
「リーフレットには、野球振興活動の目的は世代ごとに違うと書かれていました。まず幼稚園児や小学校低学年には『野球は面白いな』と感じてもらう。小学校中学年や高学年になると、『野球、うまくできるようになったな』と自信を持ってもらう。そうやってターゲットを考え、野球を好きになって続けてもらうことに大きな目的があります」

園児と接して気づいた、自分の新たな一面
富士高では普段の練習から選手主体で練習内容が決められ、野球教室でも運営は彼らに任されている。高校入学してすぐに園児や小学生に教え始めた頃、藤田は「どうやったらいいか、難しい」と感じていたという。
だが、回数を重ねるにつれて接し方がわかってきた。
「最初の頃はどうしても、自分の教えることに自信が持てなかったです。でも、まずは大きな声で『こうだよ』と、こっちが自信を持って言ってあげることが大事だとわかってきました。自分たちも成長できて、学びになって、上達してきていると思います」
一方、五十嵐は子どもたちと接しながら新たな自分に気づいた。
「私はどちらかと言うと、相手の反応が気になって受け身になってしまうタイプです。でも園児は会話を通してすごく素直な反応を返してくれるので、自分も積極的になっていく姿勢が植え付けられていきました」
野球教室では対象の園児や小学生に対し、具体的にどんなことを教えるのか。
富士高の野球部員たちは普段、自分たちが学んできたことをわかりやすく伝えようと心がけている。藤田が説明する。
「稲木先生はめっちゃ珍しい指導者だと思います。
例えば、普段から『今のプレーはどういう意図を持ってやったの?』と問いかけてくださったり、全部を説明してくれます。『こういう意図でサインを出した』と教えてくださるので、そんな理由があったのかと気づくことができる。僕、頭を使う野球がすごく好きなので、めっちゃ面白いなと。
だから子どもたちにも野球の面白さが伝わればいいなと思っています」
学童野球と高校野球の接点づくり
ゴールデンウイークの5月4日、富士高は大淵少年野球スポーツ団、今泉少年野球スポーツ団、三島南シャークスという3つの学童野球チームを招いて練習試合を企画した。

園児や野球未経験の小学生への活動は軌道に乗ってきた一方、すでに野球を始めている小学生とはなかなか接点を持てずにいたからだ。週末に企画しても、学童野球チームにはすでに試合の予定が入っていて断られることもあった。
そこで今回、「高校のグラウンドで練習試合を行ってもらおう」と稲木監督は発想を変えた。
そうしてすでに野球をプレーしている小学生には高校野球と触れてもらう一方、高校生たちには試合の運営や審判、試合の合間に行う野球教室での指導を“大人の視点”で取り組ませることで成長が期待できるからだ。
当日は2チームで練習試合を行う間、もう1チームには高校生たちによる野球教室が実施された。

「子どもたちは1人でいきなり抜けてしまうなど、予想外の行動をすることもあります。だからマネジャーたちが、選手たちが見切れないところを意識的に見るようにしました」
五十嵐がそう話すように、女子マネジャーたちが円滑な運営に気を配り、当日のスケジュールは進められた。
「わかった」と感じられる瞬間
野球教室でリーダーシップを発揮した一人が藤田だった。特に意識したのは、今回の対象は野球をある程度知っている小学生ということだ。
例えば一塁ベースの駆け抜けを練習した際、「みんな、いつもどっちの足で踏んでいるの?」と問い掛けた。
ある子が「左」と答えると、即座に「なんで左で踏んでいるの?」と問い返す。「わからない」。おそらく無意識で行なっているのだろう。
セオリーではベースの真ん中を左足で踏むほうが速いとされるが、どちらの足で踏むべきかは一塁手の位置も関わってくる。
そこで藤田は「一塁手がここに守っていたら、左足で踏むと当たっちゃわない?」と、右足で踏む走り方もオプションで持っていたほうがいいと伝えた。「確かに」。子どもたちは新たな発想を得て顔を輝かせた。
「自分もそうですけど、『わかった』と感じられる瞬間が最も身になると思います。
そうなっていけるようにこちらから問い掛けて『確かに』という声が聞こえると、うれしい気持ちになります。即座に『自分でもやってみたくなったでしょ?一緒にやろうか』と巻き込んでいきました」(藤田)
藤田たちが学童野球選手たちに伝えたのは、まさに稲木監督の手法と同じだった。自分たちが考えるなかで成長しているから、“後輩”たちにも同様に感じてほしかった。
イチローさんに感じさせてもらったもの
「一塁まで全力疾走を怠るな」
野球では、あらゆる世代のチームでそう言われる。では、どうすれば子どもたちが実践できるようになるだろうか。
この日の野球教室では、一つの工夫がなされた。一塁ベースの少し先に高校生が立ち、「お兄さんとハイタッチするまで、全力で走って行こう」と自然の流れで全力疾走できるようにしたのだ。
野球教室終了後には、練習試合に向かう子どもたちとハイタッチやグータッチを交わして送り出した。不必要な上下関係より、自然の触れ合いのほうが気持ちをほぐし、試合でも力を存分に発揮できる。

富士高の選手たちに実体験として気づかせてくれたのが、日本球界のレジェンドだった。2022年12月、文武両道や野球振興活動に興味を持ち、元シアトル・マリナーズのイチローさんが指導にやって来てくれたのだ。藤田が振り返る。
「イチローさんがいらっしゃった際、僕らは野球に対する姿勢でハッとさせられた部分が多くありました。だから上級生こそ、チームの雰囲気を率先してつくっていこうと。
例えば練習試合で点が入ったとき、ベンチに帰ってきたらみんなでめっちゃ声を出す。そういう雰囲気づくりはイチローさんに感じさせてもらったものもあります。それが自分たちに浸透したので、さらに少年野球の子たちにも伝わっているといいなって思います」
藤田が野球の面白さを深く知れたのは、昔からの仲間のおかげだった。じつは富士高を一般受験で合格した際、野球を続けるかどうか迷っていた。
そんなときに学童野球からのチームメイトに「野球部、やらん?」と誘われ、高校入学前に河川敷にみんなで集まり、父親たちを交えて初めて硬式球に触れた。「おもろいな。やっぱり野球、やりたいな」。そう思い、野球部の同期では唯一の一般入学生として入部した。
仲間たちのおかげで野球を続けようと思え、稲木監督やイチローさんにその醍醐味を深く学ばせてもらった。だからこそ、藤田は園児や小学生たちに「野球は面白い」と感じてほしいと強く願っている。

静岡で広がる野球の輪
一方、五十嵐は中学までバレーボールをプレーし、野球とはまるで縁のない生活を送ってきた。進学した富士高にバレー部がなく、頑張っている運動部をマネジャーとして応援したいと思い、門をたたいたのが野球部だった。
「これまでマネジャーをやってきて良かったのは、年上の人と会話するスキルが身についたことです。それと視野が格段に広くなりました。
野球の良さは、どんなに強いところと弱いところが戦っても同じ攻撃の数と守備の数があるところですね。強いチームがひたすらゲームを支配するのではなく、弱いチームが番狂せを起こすこともある。それがすごく素敵だと思います」
富士高の高校生たちがそれぞれの思いを込めた5月4日の企画の最後、別れが惜しくて泣き出した小学生がいた。野球を満喫してほしいと運営した藤田は、微笑ましい気持ちで見ていた。
「別れを惜しまれた選手は、本当に真面目で真っすぐな性格です。そういう様子が子どもたちに伝わったんだなって、うれしく思いました」

富士高による通算11回目の野球振興活動は大盛況で終わった。
稲木監督にとって前任校の三島南時代を含めると47回目の開催で、同じ静岡県東部では御殿場高校、伊豆総合高校、田方農業高校でも同様の輪が広がっている。
どうすれば、子どもたちに野球の魅力を伝えていくことができるか。富士高校の取り組みには、多くの示唆が詰まっている。
(文・中島大輔)

