野球界でデータ活用を用いて、パフォーマンスを上げようという考えが浸透してきた中で、技術だけでなくコンディショニングや身体操作能力向上にも注目が集まり始めている。
プロ野球でもパルクールやヨガを取り入れる選手が増える中、オフシーズンに多くの野球選手が訪れる「DIMENSIONING」という場所がある。
Homebase編集部では、ここ最近多くのアマチュア選手やプロ選手へ施術を行っているDIMENSIONINGの代表・北川雄介さんに話を伺った。
第二弾では、北川さんが指導を行うきっかけや子供の頃からの野球との関わり方に迫ります。
きっかけは小学生の頃 身体が小さいコンプレックスを解消することだった
-この仕事を始めたきっかけは何だったんでしょうか?
小学生の頃から、僕自身が身体が小さかったこともあってどうやったら身体が大きい人に勝てるのかを考えていました。
筋肉の付き方、解剖学という観点で自分で投球フォームや打撃フォームを本などで調べることを当時からやっていました。その後、中学1年生くらいの頃に肘を痛め、病院へ通いながらリハビリ治療を行うも、良くならない時期を過ごしました。
そんな中、プロ野球でトレーニングコーチをされていた立花龍司さんや同じ左投げだった工藤公康投手のことを自分で調べているうちに工藤投手のトレーナーをしている筑波大学の白木先生の存在を知りました。
年齢を重ねても筋力が増えて更に球速も上がることがあるという話を聞き、スポーツ科学の分野に興味を持つようになりました。そこで中学2年生の時に筑波大学の体育専門学群に行こうということを決意しました。
他にも、自分でプレーをするのはもちろん他の選手の動きを見るという習慣を付けるようにしていました。今となっては主流ですが、動画をコマ送りにして再生するといったことを延々とやっていました。
-それを中学生の時からやられていたというのはなかなか珍しいことですよね。
当時は今と違って機材やカメラなどもあまりない時代でしたので、TVで放送されているプロ野球の映像をデジカメで撮影してコマ送り再生をしていました。
また、父親がインターネットやデータに強い会社に勤めていたので、インターネットも駆使して色々なことを調べていました。
当時ケトルベルというトレーニング器具が出始めた頃で、それの効果や使い方などを知るために自分で買ってみるということもしました。振り返れば小学生の頃から変わっていて、オタクのように取り組んでいましたね。
ただプレーを眺めるのではなく、この選手はここの動き良さそうだから打つなとか、ここの動きを改善したらもう少し良くなるなという感覚で他の選手を見ていました。
-現役の選手は自分が上手くなるという部分に主眼を置いている人がほとんどだと思いますが、当時から周りの部員の動きを見ながら野球を考えていたということでしょうか。
そうですね。僕自身、弟が二人いたりお節介な性格ということもあり、人に何かを教えるということは好きでした。
そして、人に何かを教えるために自分で学ぶという習慣は昔からあり、自分で学んだことを人に教えてその人に貢献するということに対して喜びを感じたり、出来ないことが出来るようになるという瞬間が好きだったと思います。
人に指導するために自ら学び実践する機会をとにかく作る
-そして、中学2年生の頃の意思のままに筑波大学へ進学されました。
大学入学後は、好きなことに多くの時間を割くことができました。例えば、筑波大学には体育・芸術図書館があります。そこで蔵書を読んだり、論文を印刷したりしていました。
さらに週末には、母校の八千代松蔭高校に教えに行く機会も得ることができ、平日に学んだことを週末に高校生相手に実践するというサイクルを毎週のように作っていました。
こういった自ら学びそれを実践する機会があった事が非常に良かったと思います。当時から人に教えることに関連する仕事に就きたいと思っていたので、アルバイトも塾の講師やバッティングセンターのスクール講師など、将来に繋がるものを自分で選択して自分なりのビジョンを描いていたと思います。
当時から夢中でやっていて深夜までずっと選手の動きや映像を見ることも多々ありました。また、自分でも実際に動いてみて分かる気づきもありました。そう考えると、描いていたイメージに近いことができていたと思います。
-大学を卒業されてからの活動としてはどのような流れだったんですか。
大学卒業後はBCSという野球の動作改善の個人コーチング施設で働いていました。筑波大大学院を卒業後、社会人の新日本石油(現・ENEOS)や阪神タイガースで長くコンディショニングコーチを経験された方が代表を務める組織でした。
数年BCSのスタッフとして働き、大学時代を過ごした筑波市にBCSが出店するというタイミングで、店長を務めることになりました。
その後、何年か店長を務めたのですが、違う形でより多くの選手と関わりを持ちたいと思い、会社を辞め独立することにしました。
BCSで働いていた頃から、一般の方や経営者の方に対して細かい体の使い方や筋肉の動かし方、ストレッチを教えていた事もあり、その当時からパーソナル指導の面白さには気づき始めていました。
今から10年ほど前の話になりますが、施術の前後でスピードガンで球速を測り実際にどれくらいの変化があったのか検証を行ったりしていました。
独立後も、様々な取り組みを通して、筋肉の状態を変えることは、投球フォームを大きく変えることよりもパフォーマンスとしての即時性は高いということが分かり、今のスタイルに繋がっていきました。
他人はそれぞれ自分の目標や目的が異なることを理解することの大切さ
-独立されてからは順調に事業を大きく拡大されたのでしょうか?
いえ、そんなことは全くなく、むしろ自身のマネジメント能力の無さを実感していました。社員を雇うようになり、今までとは違うスキルが求められるようになり、今もなお模索し続けています。
また、人とのコミュニケーションにおける信頼関係の築き方も改めて考えるようになりました。
今まで僕自身、自分のやりたいことに向かって突き進んできましたが、信頼関係には理解や尊重が大事だと気づきました。人それぞれに、人生の目的がありそこに対する理解や尊重があることで信頼関係も生まれてくるのではないかと思うようになりました。
野球の指導においても、スキルを教えれば選手は教えてもらった動きができるようになる。しかし、その選手自身がその動きをやりたいかどうかは別の話です。
独立直後は、なんでも自分の力でやるんだというプライドもあり、人に頼って何かをやるであったり、他の人に聞いてみるということができない時期でもありました。
そういった経験を踏まえて今は、施術をしている選手や、弟子の方など関わりのある人たちが自分が思ういい方向に向かえばそれで良いのかなというように思うようになりました。
そう考えるようになり、すごく肩の力が抜けて仕事ができるようになりました。この考え方は、今の選手への指導にも通じてきている気がします。

