社会人野球・三菱重工Eastのチーム最年長、安田亮太捕手はロッテの安田尚憲選手を弟に持つ。12歳上の兄として背中を見せ続けてきた。
自身は諦めたプロ野球への道だったが、夢を叶えた弟へ幼少期からかけ続けてきた言葉とは。また、父・功さんは大阪薫英女学院高の女子駅伝部を幾度も日本一へ導いた名監督。
競技は違えども自身にとっても「大きな指導者だった」父から学んだことがあった。今年35歳、自身の経験を振り返りながら野球に一番必要な才能について語った。
兄弟の夢はプロ野球選手だった。亮太選手はPL学園→明治大学と進み、夢を追うと同時に野球の競争社会の厳しさも味わっていた。だからこそ「競争は残酷。弟は野球をやらなくてもいいと思っていた」と話す。
当時小学4年生だった尚憲選手を諦めさせようと一緒にでかけたランニングで全力疾走。12歳上の兄に勝てるわけもなく、尚憲選手は泣きながら野球をやりたいと訴えた。
当時から身体も大きかった弟に亮太選手がいい続けたのは「とにかく遠くに飛ばせ」。投げ方や打ち方を細かく教えたことはなく、それにも理由があった。
「昨日より1メートルでも遠くに飛ばせるようにしろ、それをどうやってできるか考えろってことしか高校までは言わなかったですね。バッターでいうと本塁打が最高じゃないですか。
だから遠くに飛ばすにはどうしたらいいだろうということを自分で考える。何か1つのものに対して自分で考えて成功をしていくっていうこの作業が僕は必要だと思っていて。弟の場合は身体も大きくて打球も飛ばせたのでそれが1番長所。その長所に向き合わせました」。
スタートからレールを敷くのではなく、自分で考えてたどり着かせる。亮太選手自身がかつての指導者から学んだのと同じ指導法である。
陸上競技の指導者だった父から教わった継続力と取り組む姿勢
家族でありながら弟にとって指導者的立場でもあった亮太選手。一方で亮太選手にとっては父・功さんが今の自分を作ってくれた「指導者としても大きな存在」だという。
功さんは大阪薫英女学院の女子駅伝部の監督。幾度も日本一に導いた名監督である。そんな父のある習慣こそが、35歳の年を迎えてもなお現役社会人野球選手としていられる自分を作ってくれたという。
「父親が学生時代から毎日日記をつけているんです。僕は毎日続けるのってめちゃくちゃ苦手でどちらかというと楽をしたいタイプだった。
小さい時から『お前はだからあかん』と言われていて、『取り組む姿勢が甘い。そんなんじゃプロなれん』と。
なんでこんなこと言われないとあかんねんって思っていたけど実際プロ野球選手になれていないわけですよ。」

かつては理解できなかった父の習慣だったが、明治大学に進学すると同時に亮太選手も日記を書き始めた。
「日記って何を書いていいかわかんなくて、やっぱり続けられなくて、2週間空いたりするんですよ。とりあえず天気だけ書いて無理やり続けたんです。もう10年20年くらい続けてるんですけど、今ではもうライフワークになっていますね」。
父の真似事から始まった日記の習慣で自身に足りなかった継続力が身についた。
亮太選手の場合、それが野球にも直接結びついている。「キャッチャーやるときに試合中にスコアを全部つけるんです。試合をやりながら、ベンチに戻ったら書いて、どう攻めた、バッターがどう反応したとか。
もう10年くらいやっていますけど結構大変。これがキャッチャーとしての礎になっていてリードにいかすという感じなんですけど、日記を続けていなかったらできていなかったと思うんですよね。
昔の性格ならやめていたと思います。字に起こすことでより記憶に残ったり、すぐに見返せるというのは重要ですね」。
この習慣は、苦手だった地味なトレーニングや、自身に必要な練習、リードや配球に必要な準備作業を継続する事にもつながり、自身ののキャリアを伸ばすことに繋がった。
好きこそものの上手なれ。「野球が好き」は才能
チーム最年長。社会人野球選手として13年目を迎え、同年代では、プロ野球の世界でも現役で活躍する選手は少なくなってきた。
ここまで亮太選手が現役を続けられる理由は“野球への愛”だった。それは幼少期の経験に気づかせてもらったと言う。
「小学校の時、水泳をやっていて全国大会で2位になったりめちゃくちゃ強かったんです。でも、楽しくなかったんです」。
練習は嫌、褒められるからやっているだけだったと振り返る。一方で野球は「うまくなかった」というがこれまでの野球人生で「辞めたいと思ったことは一度もない」という。
「プロ野球選手にはなれなかったですけど、好きなことと出会えましたね。好きって一番の才能だなって僕は思っていて…もし水泳が好きだったらすごい選手だったかもしれないけど、そうじゃないってことは結局才能がなかったと思うんです。身体的な才能はあったけど精神的な才能はなかったという感じですね」
好きこそものの上手なれ。身体的な能力でなく、一番の才能は“好き”という気持ちなのである。
「野球というスポーツが好き。それが一番のモチベーションなのかも。」社会人野球選手としてプレーできるのも限られた選手。
立派な職業であり、会社や地域、野球界に貢献したいという使命感もありつつも「好きなことを仕事としてやらせてもらっているんでとても幸せだなと。なかなかそういう仕事と出会える人って少ないと思うんで」と幸せも感じている。
現在は二児の父。地域の野球教室に足を運んだ際に目にうつる景色も変わってきた。
「小学校や中学校の指導者の人たちにはほんまに子供を楽しませてあげてほしいなと思いますね」野球歴は20年を大きく超えた亮太選手。
自身の経験をもとに沢山の“好き”の才能が開花することを祈っている。
(文=市川いずみ)

