「野球に人生をかける」。このような思いを胸に、野球界に身を置いている人は少なくないだろう。高知中央高出身、藤﨑匠生。今年で25歳になる若き野球人は、その思いを人一倍強く持っている男だ。今年の春、藤﨑氏は明治大学に女子硬式野球クラブを立ち上げた。願うは女子野球の発展、そのひと言である。胸に秘めたる強い思いを、ここで紹介したい。
昨年までは消防士。きっかけは“女子の甲子園”
記憶に新しい2021年8月。野球界にとって、大きな出来事があったのを覚えている人も多いことだろう。女子高校球児たちによる“甲子園”。これまでも女子野球部による全国大会は行われていたが、この年にはじめて、阪神甲子園球場を舞台に決勝が行われたのだ。
この歴史的瞬間を、スタンドで見ていた観衆の中に、藤﨑氏はいた。
「2019年に母校の高知中央高で女子野球部が立ち上がり、監督に誘われて手伝いに行っていたんです。当時は月一回程度手伝っていただけだったんですが、日々の練習の中で、野球に必死で取り組む女子選手たちの姿を見て、指導する側としても彼女たちにもっとうまくなってもらいたい、という思いを強くしました。2021年にはじめて甲子園球場で決勝が行われたのを現地で見たときに、この3年間の努力が報われたという思いが生まれてとても感動したのと、このような舞台を経験した女子選手たちの環境をもっと用意してあげなくてはいけないという使命感を感じたんです」
高校卒業後、藤﨑氏は小さいころからの夢であった消防士として働いていた。仕事の傍らで、休日などを使って母校の女子野球部の協力をしていた形だったが、昨夏の甲子園を現場でみたことで大きな決断をすることになる。
「このような舞台を経験できる選手たちをもっと増やしたいと思いましたし、これから先も続けてほしいと思いました。そのために、私にもできることがあると思い、仕事を辞めて、女子野球の普及のために自分の人生を捧げることにしたんです」

(写真:本人提供)
心揺さぶられた “お金では買えない”価値。消防士時代の経験も影響
創部から練習に携わった部員たちが、一からステップを踏んでいき、昨年、甲子園という夢の舞台で新たな歴史を踏み出した。その瞬間を目の当たりにしたことで、「人生が変わった」と藤﨑氏は振り返る。
「元々、自分は人生において、『お金で買えない価値』ということを大事にしてきました。私は幼少期に父を事故で亡くしています。そのころから、消防士としての夢を持ち、昨年まで5年間、救急隊として勤務をする中で、命を左右する現場に何度も立ち会ってきました。『命』に携わる機会を多く経験する中で、人生における価値観が人の人生を変えることができるような感動にあるという風に思っていたんです。昨年、彼女たちに経験させてもらった感動は、まさに、自分が軸としている思いと重なるところでした。迷いはありませんでした」
高校時代、自分としてはやりきった思いがあり、大学推薦の話があったがプレイヤーとしては一線を引いたという藤﨑氏。大学への進学よりも優先した消防士という夢のキャリアを捨て、新しい道を選んだ。文字通り、“人生をかけて”女子野球の現場にいま、携わっている。

(写真:本人提供)
この道をいくと決めてからの判断は早かった。「少しずつ、女子高校野球の輪が広がりつつある中で、“その先”である大学ではまだまだ女子野球部の実態が少ないことに気づき、「大学のカテゴリでも女子野球を広めたい」と着想。昨年10月、明治大学に特別入試に合格し、入学。同大内にて、「女子硬式野球クラブ」を立ち上げた。
「明治大学のような、歴史がある大学でスタートさせることで多く広められるキッカケになると考えました」
まだ正式な部としては認められていない状況だが、立ち上げ時に20名もの部員が集まった。活動がスタートしたのは今年の5月のこと。その中に、硬式野球の経験者はひとりもいないという。
「やると決めてすぐに、TwitterとInstagramのアカウントを作って、部員を募集したんです。新入生から3年生までの中で、20名も集まってくれました。話を聞くと、いろいろと女子野球の実態がわかってきたんです。野球をやってみたいという思いはずっとあったけれど、実際にプレーする機会がなかなかなかったという子や、過去に軟式野球やソフトボールをプレーしていたが、進学時に続けられる環境がなくて競技を離れてしまったという子もいました。いま、少しずつ裾野は広がりつつある女子野球ですが、そういうところにまだまだ課題があるんだなというのを、身をもって感じています」
当面の目標は“実戦”。もっと女子選手たちが、野球に取り組める機会を。
2022年冬の時点では、まだ同クラブに試合機会はない。経験者が少ないというレベル的な問題もあれば、練習場所などの環境面にも課題を多く抱えているのが実態だ。
「普段は月、水、金曜日の週3日、グラウンドで練習しているのですが、少し離れた場所にグラウンドがあるため、授業の都合などで参加できない選手も少なくありません。大学でいうと、1、2年時に多く単位を取る生徒が多いので、学業との両立という部分でもハードルがありますね。『もっと練習したい』『もっと野球がうまくなりたい』という思いを持ってくれている選手たちが集まってくれているのに、その環境を用意しきれていない悔しさがあります。用具ひとつをとっても、なかなかみんなに買ってもらうことはできませんし、課題は少なくないです」
新しいことをはじめることの難しさに直面しながらも、藤﨑氏は女子野球の未来を見据えて、活動を続けていく。
「長い歴史を経て、甲子園はできました。夢の舞台を目指してプレーを続けてきた選手たちがその先でもプレーを続けられるように、私ができることをやって、多くの選手たちの人生を変えられるような取り組みにできればと思っています。私にできることはなんでもやりたいと思いますし、この記事をみて我々のことを認知していただいた野球関係者のみなさまとも、ぜひ新しい取り組みが進められたらと思います」
熱き思いを持つ、若き野球人。女子野球の実態を誰よりも感じながら、野球の未来を紡いでいく。この取り組みもまた、野球発展の鍵を握っているはずだ。
(了)

